ブログのタイトル「大学院講義歴史(創世紀)」は、 日本は平成から西暦2019年に元号が令和に御代代わりしました。 また20世紀も20年前に終わりました。 21世紀は日本にとっても私にとっても「黄金の世紀」です。 「黄金の世紀」に向ってそれぞれが邁進しましょう。 第二次世界大戦(日本にとっては大東亜戦争)が終了して75年目を迎えました。 更に2018年は明治維新からは150年になります。 この間の19世紀20世紀の日本の諸外国との政治外交の歴史は 事により未だ不透明な霧に覆われたままであります。 現在、日・中・韓で歴史認識が問題になっていますが それぞれの当時国が真実の歴史は何であるかの認識にたって 真剣に物事を考え、発言しないと言うだけでは問題の解決にはならない。 令和2年4月吉日
2012年11月22日木曜日
さらに充満していた複数の所属国の歴史
『Yahoo!天気・災害』
『出典』言語復原史学会・加治木義博:大学院講義録35:17頁
《さらに充満していた複数の所属国の歴史》
「さらに充満していた複数の所属国の歴史」
では彼等の別名・カナンにも何かの関連があるのか?。
彼等はアブラハムの子孫だからウル出身で、ウバイド人であり、
その位置はチグリス、ユーフラテス2大河の南、
漢字で書くとまさに「河南」の人なのである。
これは不思議ではない。
漢字はもともと殷の文字で、もとはウバイド語だったからである。
だからと言って言語の大半が共通語だというのではない。
言葉は土着するから、
移住者は移住先の言葉で話さないと、食物も買えないで滅亡してしまう。
たとえ征服者でも先住民の言葉には勝てない。
自分達が使ってきた言語の大半は子孫には伝わらないのである。
しかしスサといった名乗りは残る。
ノアの大洪水は間違いいなく
2大河のそれだったからスサも水没した地域にある。
スサノオはその名乗りと共に先祖が遭遇した
大洪水の記憶を我が国まで持ってきた。
船は必需品だと言ったのである。
フェニキヤ文明は箱船の知恵を継いだ産物であり、
スサノオは名乗りだけでなく歴史も受け継いだのだ。
そして祖国が武力の前に敗れ続けたことを知っているために、
平和主義の女帝・天照と政策を争って戦闘の男、荒(すさ)の男(お)となり、
八俣の大蛇と戦って勝ち、豊穣のインダ=女帝・稲田姫と結婚して
新王国・出雲(海神ボセ・イヅンの国)を築く。
彼の物語の底流にはこのようにビッシリと、
ウバイド、フェニキヤ、ギリシャ、インダス、殷、中国といった、
所属してきた国々の、歴史と文化が充満していたのである。
《パーリ語辞典》
「パーリ語辞典」
『参考』
『言語復原史学会:Web』
『言語復原史学会:画像』
『言語復原史学会:画像』
『My ブログ』
古代メソポタミア
歴史徒然
ウワイト(倭人):大学講義録
ウワイト(倭人)大学院講義録
オリエント歴史回廊(遷都)
古代史つれづれ
古代史の画像
ネット歴史塾
古代史ブログ講座
ネット歴史塾
ひねもす徒然なるままに
「終日歴史徒然雑記」
「古代史キーワード検索」
『特定非営利活動法人森を守る紙の会: NGO-SFP』事務局長:金原政敏
『検索』
GoogleWeb検索
Google画像検索
YahooWeb検索
Yahoo画像検索
翻訳と辞書
リンクフリー〔UTF-8 対応版〕
《参考》
古代時代の考古学の最新発見・発表・研究成果
最新の考古学的発掘の方法
存在価値が問われる我が国の発掘考古学の現状
登録:
コメントの投稿 (Atom)
0 件のコメント:
コメントを投稿