2012年11月17日土曜日

殷・商に色濃く残って残っていたウバイドの文化



 『特定非営利活動法人森を守る紙の会: NGO-SFP』事務局長:金原政敏
 『Yahoo!天気・災害』 

 『出典』言語復原史学会加治木義博大学院講義録35:12頁

 《殷・商に色濃く残って残っていたウバイドの文化
 「殷・商に色濃く残って残っていたウバイドの文化

 ここでウバイドの移動と殷への渡航について、

 精密に再検討してみよう。

 鳥羽、伊豆と太平洋岸を北上して着いた土地=房総半島に残る

 「夷隅」の地名も、

 イズミ=イヅミで、伊豆から来た人々を意味することはすぐ判る。

 では語尾の「ミ」は何を意味するのか?。

 これは古代の命名法をみると、

 イサナミの命の「ミ」である。

 イサナキの「キ」は男王を意味し、

 イサナミの「ミ」は女王を意味していたから、

 イヅミはイド女王という国名の遺物だったのである。

 それが伊奴になり伊奈と変わり、

 殷と変わって、稲敷という部名を残しているので、

 インダの名も共に使われていたことがわかる。

 そして漢字の当て字が使われ、

 時の経過につれて読み方が変化したから、

 伊ン奴(ド)の奴がドからナと読み方が変ったので、

 当て字も伊奈に変ったという歴史まで理解できる。

 ウバイドの女帝制は間違いなく稲敷まで継続していたのであり、

 中国へ渡ってから男王制になったようにみえるが、

 その滅亡の原因は、

 紂王が妲己(ダッキ)という妃に支配されて、

 悪政を犯したためだとされているから、

 やはり女性上位だった可能性が浮かび上がってくる。

 それは殷の政治が神託によるものであって、

 巫女の託宣に左右されていた事実が、

 遺品の甲骨文から鮮明に読み取れるからで、

 ウバイドから来た文明が、

 殷・商に色濃く残っていることは疑いない。

 『殷・商

 《パーリ語辞典
 「パーリ語辞典

 『参考』
 『言語復原史学会:Web』
 『言語復原史学会:画像』 
 『言語復原史学会:画像』

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