ブログのタイトル「大学院講義歴史(創世紀)」は、 日本は平成から西暦2019年に元号が令和に御代代わりしました。 また20世紀も20年前に終わりました。 21世紀は日本にとっても私にとっても「黄金の世紀」です。 「黄金の世紀」に向ってそれぞれが邁進しましょう。 第二次世界大戦(日本にとっては大東亜戦争)が終了して75年目を迎えました。 更に2018年は明治維新からは150年になります。 この間の19世紀20世紀の日本の諸外国との政治外交の歴史は 事により未だ不透明な霧に覆われたままであります。 現在、日・中・韓で歴史認識が問題になっていますが それぞれの当時国が真実の歴史は何であるかの認識にたって 真剣に物事を考え、発言しないと言うだけでは問題の解決にはならない。 令和2年4月吉日
2012年11月17日土曜日
殷・商に色濃く残って残っていたウバイドの文化
『特定非営利活動法人森を守る紙の会: NGO-SFP』事務局長:金原政敏
『Yahoo!天気・災害』
『出典』言語復原史学会・加治木義博:大学院講義録35:12頁
《殷・商に色濃く残って残っていたウバイドの文化》
「殷・商に色濃く残って残っていたウバイドの文化」
ここでウバイドの移動と殷への渡航について、
精密に再検討してみよう。
鳥羽、伊豆と太平洋岸を北上して着いた土地=房総半島に残る
「夷隅」の地名も、
イズミ=イヅミで、伊豆から来た人々を意味することはすぐ判る。
では語尾の「ミ」は何を意味するのか?。
これは古代の命名法をみると、
イサナミの命の「ミ」である。
イサナキの「キ」は男王を意味し、
イサナミの「ミ」は女王を意味していたから、
イヅミはイド女王という国名の遺物だったのである。
それが伊奴になり伊奈と変わり、
殷と変わって、稲敷という部名を残しているので、
インダの名も共に使われていたことがわかる。
そして漢字の当て字が使われ、
時の経過につれて読み方が変化したから、
伊ン奴(ド)の奴がドからナと読み方が変ったので、
当て字も伊奈に変ったという歴史まで理解できる。
ウバイドの女帝制は間違いなく稲敷まで継続していたのであり、
中国へ渡ってから男王制になったようにみえるが、
その滅亡の原因は、
紂王が妲己(ダッキ)という妃に支配されて、
悪政を犯したためだとされているから、
やはり女性上位だった可能性が浮かび上がってくる。
それは殷の政治が神託によるものであって、
巫女の託宣に左右されていた事実が、
遺品の甲骨文から鮮明に読み取れるからで、
ウバイドから来た文明が、
殷・商に色濃く残っていることは疑いない。
『殷・商』
《パーリ語辞典》
「パーリ語辞典」
『参考』
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