ブログのタイトル「大学院講義歴史(創世紀)」は、 日本は平成から西暦2019年に元号が令和に御代代わりしました。 また20世紀も20年前に終わりました。 21世紀は日本にとっても私にとっても「黄金の世紀」です。 「黄金の世紀」に向ってそれぞれが邁進しましょう。 第二次世界大戦(日本にとっては大東亜戦争)が終了して75年目を迎えました。 更に2018年は明治維新からは150年になります。 この間の19世紀20世紀の日本の諸外国との政治外交の歴史は 事により未だ不透明な霧に覆われたままであります。 現在、日・中・韓で歴史認識が問題になっていますが それぞれの当時国が真実の歴史は何であるかの認識にたって 真剣に物事を考え、発言しないと言うだけでは問題の解決にはならない。 令和2年4月吉日
2012年11月20日火曜日
フェニキヤ人の歴史と来航の可能性
『Yahoo!天気・災害』
『出典』言語復原史学会・加治木義博:大学院講義録35:15頁
《フェニキヤ人の歴史と来航の可能性》
「フェニキヤ人の歴史と来航の可能性」
では、在来、ギリシャ人とは別けて考える人の多かったフェニキヤ人について、
今少し詳しく確認してみよう。
は『旧約聖書』の箱船で有名なノアの子孫・ハムの一族で、
セムの一族が
ヘブライ人のヤベテの一族がギリシャ人だから、ギリシャ人と祖先は同じである。
B.C.E.20世紀ごろから
シリア地方にシドン・ビプロス・ウガリットなどの都市国家群をたて、
それがフェニキヤと総称されたもので、
人種名としてはカナン人というのが通称だった。
航海と通商の先進国で
東はイランから西はシラキウス、
大西洋やアフリカ沿岸にも植民し、
インドに入り、スリランカにも顕著な遺物を残しているが、
B.C.E.9世紀にアッシリアに併呑され、
その後またアレクサンドロス大王に征服されてギリシャに属し、
B.C.E.63年にはローマ領に編入された。
そのため彼等が使っていた
22個の子音文字がローマ字の原形になったが、
それ以前にもヘブライ、アラム、ギリシャ文字も
また、昔、
このフェニキヤの線文字アルファベットから生まれたことが確認されていて、
武装国家の暴力には屈しても、征服者より優れた偉大な文化人たちだったことが判る。
スリランカは南進仏教の大本山で、
ソナカらを乗せて来たのが彼等だった可能性も強く、
アレクサンドロス軍の一部として、
また単独で我が列島まで来た可能性もある。
『旧約聖書』
『フェニキヤ』
『アレクサンドロス大王』
《パーリ語辞典》
「パーリ語辞典」
『参考』
『言語復原史学会:Web』
『言語復原史学会:画像』
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