ブログのタイトル「大学院講義歴史(創世紀)」は、 日本は平成から西暦2019年に元号が令和に御代代わりしました。 また20世紀も20年前に終わりました。 21世紀は日本にとっても私にとっても「黄金の世紀」です。 「黄金の世紀」に向ってそれぞれが邁進しましょう。 第二次世界大戦(日本にとっては大東亜戦争)が終了して75年目を迎えました。 更に2018年は明治維新からは150年になります。 この間の19世紀20世紀の日本の諸外国との政治外交の歴史は 事により未だ不透明な霧に覆われたままであります。 現在、日・中・韓で歴史認識が問題になっていますが それぞれの当時国が真実の歴史は何であるかの認識にたって 真剣に物事を考え、発言しないと言うだけでは問題の解決にはならない。 令和2年4月吉日
2012年11月21日水曜日
スサノオの植樹はフェニキヤ文明の確証
『Yahoo!天気・災害』
『出典』言語復原史学会・加治木義博:大学院講義録35:16頁
《スサノオの植樹はフェニキヤ文明の確証》
「スサノオの植樹はフェニキヤ文明の確証」
フェニキヤ人は、そのずば抜けた思考力と先進文化によって船を造り、
その新しい移動手段を活用して、さらに新しい交易を考案実行し、
富を築き国土を拡大して栄えた。
その基礎になったのは、船材や香料や建築材としての植物の性質を研究して、
加工し増殖する学術を発展させたことで、それが彼等の文化の著しい特徴である。
『日本書紀』にはスサノオの尊が、
子孫は「浮き宝=船」をもたなくてはいけないといって、
髭や眉毛や体毛を抜いて蒔くと、
それが種子になって杉や檜や楠などが生えたという話や、
尊の皇子・五十猛の神と共に、
樹木の種子を大八州に植えてまわったという話が載っている。
『旧約聖書』のエゼキエル書には
「カナン人はレバノン杉で汝の船の帆柱を造り、
セニルの縦で汝の船板を造り、
バシヤンの樫の木で汝の葺を造り、
キティムの檜に象牙を嵌めて汝の甲板を造った」
と書いてあり、
フェニキヤ人以後、こうした木材を輸出して稼ぎまくったために、
今ではレバノン杉は絶滅して見ることが出来ないが、
フェニキヤ人はまさに文字通りの「船木屋」だったことを証言している。
スサは、そのイラン植民地の大都市であり、
そのスサの王の名乗りをもつスサノオのこの物語は、
当時世界唯一のフェニキヤ文明が
我が国に入って造船や植林産業を起こし、
そのための必須教養として植物学知識が、
説話様式による古代教育に新たに加えられた史実の『証拠』なのである。
『エゼキエル書』
『カナン』
『フェニキヤ』
『フェニキヤ文明』
『レバノン杉』
《パーリ語辞典》
「パーリ語辞典」
『参考』
『言語復原史学会:Web』
『言語復原史学会:画像』
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