ブログのタイトル「大学院講義歴史(創世紀)」は、 日本は平成から西暦2019年に元号が令和に御代代わりしました。 また20世紀も20年前に終わりました。 21世紀は日本にとっても私にとっても「黄金の世紀」です。 「黄金の世紀」に向ってそれぞれが邁進しましょう。 第二次世界大戦(日本にとっては大東亜戦争)が終了して75年目を迎えました。 更に2018年は明治維新からは150年になります。 この間の19世紀20世紀の日本の諸外国との政治外交の歴史は 事により未だ不透明な霧に覆われたままであります。 現在、日・中・韓で歴史認識が問題になっていますが それぞれの当時国が真実の歴史は何であるかの認識にたって 真剣に物事を考え、発言しないと言うだけでは問題の解決にはならない。 令和2年4月吉日
2012年11月7日水曜日
彼等は粛慎からやってきた
『特定非営利活動法人森を守る紙の会: NGO-SFP』事務局長:金原政敏
『Yahoo!天気・災害』
『出典』言語復原史学会・加治木義博:大学院講義録34:31頁
《彼等は粛慎からやってきた》
「彼等は粛慎からやってきた」
ギリシャでは洞窟での生活も当然のことだし、
裸体生活もギリシャ陶器などの遺物に描かれた人々の姿と同じである。
しかし中国人はそれを「野蛮」と読んだ。
そして私たちもその野蛮を劣等未開を表現する形容詞として使ってきた。
しかしそれはヤーバナ(ギリシャ)人という名詞だったのである。
そして彼等はその時の居住地へ古代の
「粛慎氏」の国から船でやってきた。
粛慎は「チュクシン=チクシノ=筑紫の」国である。
フェニキヤを出発点に、
九州を経て高句麗と並ぶ地域でギリシャ生活を営んでいた人々が、
故郷の地名ユーローパを名乗っていたのは当然のことである。
そしてこれが解ると、
高句麗付近で垂仁天皇を救った
フェニキヤ系海軍を率いる大王・丹波のミチウシの、
具体的な実在証明が鮮明に成立し始める。
『粛慎』
『フェニキヤ』
《パーリ語辞典》
「パーリ語辞典」
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『言語復原史学会:画像』
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