2012年11月13日火曜日

遷都の実態と、天武の名乗りはウハイト



 『特定非営利活動法人森を守る紙の会: NGO-SFP』事務局長:金原政敏
 『Yahoo!天気・災害』 

 『出典』言語復原史学会加治木義博大学院講義録35:7頁

 《遷都の実態と、天武の名乗りはウハイト
 「遷都の実態と、天武の名乗りはウハイト

 都が移るという点だけ見れば確かに遷都だが、

 遷都といえば都だけが移ったという印象がある。

 ウバイド~インダス~倭人の場合は、
 
 都だけでなく国家集団全体が首都もろとも移動し続けたのだから、

 遷都ではなく国家が拡大したのであって、

 それにつれて都も位置を変えて行ったということでしかない。

 それは当然のことで、

 氷河期直後と言っていい8000年前には、国境などというものはなく、

 全世界に無人の荒野が涯てしもなく広がっていたのである。

 そのウバイド移動の痕跡は当然、日本列島中でも見られる。

 まず思い出して頂きたいのは天皇たちの名乗りは、

 国名の羅列だったことである。

 天命開別という天智天皇のそれは

 天=アマ・チヌの付く地名であり、

 開=ヒラキ・シラキという地名だった。

 被の弟とされている天武天皇の名乗り「大海人」も、

 やはり地名でなければならないのである。

 それはどこか?。

 大はオオで倭であり、大隅である。

 海人は隼人だから彼も兄とされる

 天智天皇と同じ鹿児島県の東半の領主だったのである。

 この名乗りは在来はオオアマと読まれて疑いをもった学者はいなかった。

 しかし大隅では大はオオとは発音しない。

 それはウと読まねばならない。

 海人はハイトだからウハイト、これが正しい発音なのだ。

 《パーリ語辞典
 「パーリ語辞典

 『参考』
 『言語復原史学会:Web』
 『言語復原史学会:画像』 
 『言語復原史学会:画像』

 『My ブログ』
 古代メソポタミア
 歴史徒然
 ウワイト(倭人):大学講義録
 ウワイト(倭人)大学院講義録 
 オリエント歴史回廊(遷都)
 古代史つれづれ 
 古代史の画像
 ネット歴史塾
 古代史ブログ講座
 ネット歴史塾
 ひねもす徒然なるままに    
 「終日歴史徒然雑記」
 「古代史キーワード検索」         

 『検索』
 GoogleWeb検索
 Google画像検索
 YahooWeb検索
 Yahoo画像検索
 翻訳と辞書
 リンクフリー〔UTF-8 対応版〕

 《参考》
 古代時代の考古学の最新発見・発表・研究成果
 最新の考古学的発掘の方法
 存在価値が問われる我が国の発掘考古学の現状
コメントを投稿