ブログのタイトル「大学院講義歴史(創世紀)」は、 日本は平成から西暦2019年に元号が令和に御代代わりしました。 また20世紀も20年前に終わりました。 21世紀は日本にとっても私にとっても「黄金の世紀」です。 「黄金の世紀」に向ってそれぞれが邁進しましょう。 第二次世界大戦(日本にとっては大東亜戦争)が終了して75年目を迎えました。 更に2018年は明治維新からは150年になります。 この間の19世紀20世紀の日本の諸外国との政治外交の歴史は 事により未だ不透明な霧に覆われたままであります。 現在、日・中・韓で歴史認識が問題になっていますが それぞれの当時国が真実の歴史は何であるかの認識にたって 真剣に物事を考え、発言しないと言うだけでは問題の解決にはならない。 令和2年4月吉日
2012年11月13日火曜日
遷都の実態と、天武の名乗りはウハイト
『特定非営利活動法人森を守る紙の会: NGO-SFP』事務局長:金原政敏
『Yahoo!天気・災害』
『出典』言語復原史学会・加治木義博:大学院講義録35:7頁
《遷都の実態と、天武の名乗りはウハイト》
「遷都の実態と、天武の名乗りはウハイト」
都が移るという点だけ見れば確かに遷都だが、
遷都といえば都だけが移ったという印象がある。
ウバイド~インダス~倭人の場合は、
都だけでなく国家集団全体が首都もろとも移動し続けたのだから、
遷都ではなく国家が拡大したのであって、
それにつれて都も位置を変えて行ったということでしかない。
それは当然のことで、
氷河期直後と言っていい8000年前には、国境などというものはなく、
全世界に無人の荒野が涯てしもなく広がっていたのである。
そのウバイド移動の痕跡は当然、日本列島中でも見られる。
まず思い出して頂きたいのは天皇たちの名乗りは、
国名の羅列だったことである。
天命開別という天智天皇のそれは
天=アマ・チヌの付く地名であり、
開=ヒラキ・シラキという地名だった。
被の弟とされている天武天皇の名乗り「大海人」も、
やはり地名でなければならないのである。
それはどこか?。
大はオオで倭であり、大隅である。
海人は隼人だから彼も兄とされる
天智天皇と同じ鹿児島県の東半の領主だったのである。
この名乗りは在来はオオアマと読まれて疑いをもった学者はいなかった。
しかし大隅では大はオオとは発音しない。
それはウと読まねばならない。
海人はハイトだからウハイト、これが正しい発音なのだ。
《パーリ語辞典》
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