ブログのタイトル「大学院講義歴史(創世紀)」は、 日本は平成から西暦2019年に元号が令和に御代代わりしました。 また20世紀も20年前に終わりました。 21世紀は日本にとっても私にとっても「黄金の世紀」です。 「黄金の世紀」に向ってそれぞれが邁進しましょう。 第二次世界大戦(日本にとっては大東亜戦争)が終了して75年目を迎えました。 更に2018年は明治維新からは150年になります。 この間の19世紀20世紀の日本の諸外国との政治外交の歴史は 事により未だ不透明な霧に覆われたままであります。 現在、日・中・韓で歴史認識が問題になっていますが それぞれの当時国が真実の歴史は何であるかの認識にたって 真剣に物事を考え、発言しないと言うだけでは問題の解決にはならない。 令和2年4月吉日
2012年11月16日金曜日
『地名文化財』は祖先からの大遺産・至宝
『特定非営利活動法人森を守る紙の会: NGO-SFP』事務局長:金原政敏
『Yahoo!天気・災害』
『出典』言語復原史学会・加治木義博:大学院講義録35:11頁
《『地名文化財』は祖先からの大遺産・至宝》
「『地名文化財』は祖先からの大遺産・至宝」
こうして順序立てて検討してみると、台湾から沖縄に入った人々が、
大隅を基地に鳥羽~伊豆~房総と太平洋岸を北上して稲敷に至ったことと、
その先駆者だったウハイド人が、
霊域ラインに導かれて海路を西に向かい、
中国に古代「商」帝国をつくった経路と、
その後、
ギリシャ人が同じ太平洋岸コースを通って北上したことが、
理解できるようになってくる。
それは古代人が自分たちの守護神や英雄の名を、
集団名として名乗っていたために、
それが他部族に地名として使われて、
要所要所に順序正しく顕著に残っているお陰である。
地名文化財は私たちの祖先の一大遺産であり、彼等の血を分けた、
故郷に残った人々の子孫にとってもまた同様に、
失ってはならない至宝なのである。
ところが無知な政府や地方自治体、建売屋などが、
どれ程それらを消し去って
「××台」といったチャチな名にしてしまったか故知れない。
これをみると、昭和以前にも改悪された地名は大量にあったはずで、
その大半は記録さえも失われている。
それは倭建命の伝承を考えてみても
草薙・焼津といった新地名が作られているのだから、
それ以前の歴史地名を消してしまっていることは疑う余地がない。
一時も速く徹底した調査と保存が不可欠なのである。
《パーリ語辞典》
「パーリ語辞典」
『参考』
『言語復原史学会:Web』
『言語復原史学会:画像』
『言語復原史学会:画像』
『My ブログ』
古代メソポタミア
歴史徒然
ウワイト(倭人):大学講義録
ウワイト(倭人)大学院講義録
オリエント歴史回廊(遷都)
古代史つれづれ
古代史の画像
ネット歴史塾
古代史ブログ講座
ネット歴史塾
ひねもす徒然なるままに
「終日歴史徒然雑記」
「古代史キーワード検索」
『検索』
GoogleWeb検索
Google画像検索
YahooWeb検索
Yahoo画像検索
翻訳と辞書
リンクフリー〔UTF-8 対応版〕
《参考》
古代時代の考古学の最新発見・発表・研究成果
最新の考古学的発掘の方法
存在価値が問われる我が国の発掘考古学の現状
登録:
コメントの投稿 (Atom)
0 件のコメント:
コメントを投稿