ブログのタイトル「大学院講義歴史(創世紀)」は、 日本は平成から西暦2019年に元号が令和に御代代わりしました。 また20世紀も20年前に終わりました。 21世紀は日本にとっても私にとっても「黄金の世紀」です。 「黄金の世紀」に向ってそれぞれが邁進しましょう。 第二次世界大戦(日本にとっては大東亜戦争)が終了して75年目を迎えました。 更に2018年は明治維新からは150年になります。 この間の19世紀20世紀の日本の諸外国との政治外交の歴史は 事により未だ不透明な霧に覆われたままであります。 現在、日・中・韓で歴史認識が問題になっていますが それぞれの当時国が真実の歴史は何であるかの認識にたって 真剣に物事を考え、発言しないと言うだけでは問題の解決にはならない。 令和2年4月吉日
2012年11月14日水曜日
地名が鮮やかに語る海人たちの真実の古代史
『特定非営利活動法人森を守る紙の会: NGO-SFP』事務局長:金原政敏
『Yahoo!天気・災害』
『出典』言語復原史学会・加治木義博:大学院講義録35:9頁
《地名が鮮やかに語る海人たちの真実の古代史》
「地名が鮮やかに語る海人たちの真実の古代史」
地名は、時間がたつとどんどん読み方が変わってしまう。
それは私たちの偉大な祖国であった
ウバイドへの当て字『倭人』ですら、
それをウワイトと読めた学者がいない事実が一番よく立証しでいる。
烏羽が鳥羽に変っても、
誰もそれが間違いだとは思わなくなってしまった。
それがそのまま現代まで来たことが、
地名の命名者が他人だったことの証拠でもある。
ではなぜ?、烏を鳥に変えた者がいたのか?。
それはウバイド系の記憶が薄れたあとに来た
ギリシャ系の人々のせいである。
彼等はアンピトリテの名で呼ばれたが、
その分家の移住者たちは、
南九州ではトイ(鳥の訛り)と呼ばれた。
その名が宮崎県南海の太平洋に突き出た都井(とい)岬に残っている。
鳥羽も全く同じ姿で太平洋に突き出ているから、
烏でなく鳥が正しいと思って当然なのである。
ちなみに伊豆もまた同じ姿で太平洋に突き出ている。
こと、取手市も同じ条件の房総半島の付け根の要衝にその名を残していること、
さらにその北隣りは稲敷郡で、
その名も伊奈(=殷)という自治体がある。
なぜ南九州からこんなに離れた土地に関連地名が集中しているのか?。
それは千葉県の夷隅郡が説明してくれている。
夷(イ)は倭(イ)オオだから大隅、
どこから誰がやって発たのか一目瞭然である。
そしてその倭や大という好い字を、
わざわざ、嫌われた「夷」の字に変えている。
これは地名の命名者が他人だという、
さらに動かない証拠なのである。
『アンピトリテ』
《パーリ語辞典》
「パーリ語辞典」
『参考』
『言語復原史学会:Web』
『言語復原史学会:画像』
『言語復原史学会:画像』
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