ブログのタイトル「大学院講義歴史(創世紀)」は、 日本は平成から西暦2019年に元号が令和に御代代わりしました。 また20世紀も20年前に終わりました。 21世紀は日本にとっても私にとっても「黄金の世紀」です。 「黄金の世紀」に向ってそれぞれが邁進しましょう。 第二次世界大戦(日本にとっては大東亜戦争)が終了して75年目を迎えました。 更に2018年は明治維新からは150年になります。 この間の19世紀20世紀の日本の諸外国との政治外交の歴史は 事により未だ不透明な霧に覆われたままであります。 現在、日・中・韓で歴史認識が問題になっていますが それぞれの当時国が真実の歴史は何であるかの認識にたって 真剣に物事を考え、発言しないと言うだけでは問題の解決にはならない。 令和2年4月吉日
2012年11月2日金曜日
間違いなくインド系の人たち
『特定非営利活動法人森を守る紙の会: NGO-SFP』事務局長:金原政敏
『Yahoo!天気・災害』
『出典』言語復原史学会・加治木義博:大学院講義録34:26頁
《間違いなくインド系の人たち》
「間違いなくインド系の人たち」
この神はインドの神だから、彼は間違いなくインド系の人である。
先にソナカ皇子=仲哀天皇がアソカ王の仏教宣布団に一員だったことに触れたが、
彼もインドからの移住者の一族だったのだ。
すると、この章の主題の
「先祖はいつ?どこから?まで判る凄い記録」が、
こうして、はっきり実在していることが証明されたのである。
しかし、それはこうした解明が必要で、
それが完成したから判ったのである。
もっともそれは私(加治木義博)の論文や『講義録』の読者は、
すでにもう、よく御存知だったことであるが。
彼は強大な水軍の王だった。
そしてインドの最高神の名を自分の名にして名乗って、
それが最高神の名であることを知っている人々に君臨していたのである。
これは、その人々が、やはりインド系の移住者たちだったことの証拠である。
彼等は元インド人だったのであり、その子孫が今の日本人なのだから、
私たちの先祖がインドからきたというコースの1つが、確かに判った、
それが海路をとってやって来たことも、その海人という名乗りと、
垂仁天皇を救った歴史で、よく証明されている。
そしてその神名は、シンドゥ教の信者たちだったことも証言している。
《パーリ語辞典》
「パーリ語辞典」
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