ブログのタイトル「大学院講義歴史(創世紀)」は、 日本は平成から西暦2019年に元号が令和に御代代わりしました。 また20世紀も20年前に終わりました。 21世紀は日本にとっても私にとっても「黄金の世紀」です。 「黄金の世紀」に向ってそれぞれが邁進しましょう。 第二次世界大戦(日本にとっては大東亜戦争)が終了して75年目を迎えました。 更に2018年は明治維新からは150年になります。 この間の19世紀20世紀の日本の諸外国との政治外交の歴史は 事により未だ不透明な霧に覆われたままであります。 現在、日・中・韓で歴史認識が問題になっていますが それぞれの当時国が真実の歴史は何であるかの認識にたって 真剣に物事を考え、発言しないと言うだけでは問題の解決にはならない。 令和2年4月吉日
2012年11月5日月曜日
八幡=野蛮人、その理由
『特定非営利活動法人森を守る紙の会: NGO-SFP』事務局長:金原政敏
『Yahoo!天気・災害』
『出典』言語復原史学会・加治木義博:大学院講義録34:29頁
《八幡=野蛮人、その理由》
「八幡=野蛮人、その理由」
では八幡とは誰か?。
これはもう多くの方には常識の応神天皇である。
八幡大菩薩として崇敬されてきたから、仏教徒だったことが判る。
その御陵には後円部の頂上に、
仏教のシンボル・石造のスツーパが建っていた。
その所在地は先にお話した
河内の藤井寺=仏陀王(フヂイ)寺(今は羽曳野市に入っているが…)、
天皇が仏教王だったことの証拠が重なっている。
だが「八幡」は応神天皇個人の名でも、名乗りでもない。
それはインドのサンスクリット語で、ギリシャ人を意味する。
東南アジア各地から南支の仏教との間で、
今も使われている名詞の「ヤバーナ」に対する当て字でる。
同じ当て字でも
中国語では「野蛮」と書いて「イエーマン」と発音するが、
やはり古代ギリシャ人を意味している。
この野蛮人の実態がどんなものだったか?、
かなり具体的に観察し、記録したものがある。
それは卑弥呼と同じ
正史『魏書』の「東夷・挹婁(ユウロウ)」の章に、
「夫余も東北千余里、大海に沿って住み、
南は北沃沮と接しているが、北はどこまでか不明。
土地は山が多く険しい。
人相、体格は夫余によく似ているが、言語は夫余・高句麗とは異なる。
林間に住み、常に、穴居している。
気候は夫余より更に寒さが激しい。
挹婁在夫餘東北千餘里,濱大海,南與北沃沮接,未知其北所極。其土地多山險。其人形似夫餘,言語不與夫餘、句麗同。有五穀、牛、馬、麻布。人多勇力。無大君長,邑落各有大人。處山林之間,常穴居,大家深九梯,以多爲好。土氣寒,劇於夫餘。其俗好養豬,食其肉,衣其皮。冬以豬膏塗身,厚數分,以禦風寒。夏則裸袒,以尺布隱其前後,以蔽形體。其人不絜,作溷在中央,人圍其表居。其弓長四尺,力如弩,矢用楛,長尺八寸,青石爲鏃,古之肅慎氏之國也。善射,射人皆入(因)。矢施毒,人中皆死。出赤玉,好貂,今所謂挹婁貂是也。自漢已來,臣屬夫餘,夫餘責其租賦重,以黃初中叛之。夫餘數伐之,其人衆雖少,所在山險,鄰國人畏其弓矢,卒不能服也。其國便乘船寇盜,鄰國患之。東夷飲食類皆用俎豆,唯挹婁不,法俗最無綱紀也。
『挹婁』
《パーリ語辞典》
「パーリ語辞典」
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