2013年11月30日土曜日

イスラエルと月氏(2)メディアから安定へ-4

 
 『Yahoo!天気・災害』

 創世紀―牛角と祝祭・その民族系譜―

 著述者:歴史学講座「創世」 小嶋 秋彦

 執筆時期:1999~2000年

 旧約聖書「創世記」:牛角と祝祭・その民族系譜:342頁

 第六章 イスラエル人と月氏:イスラエルと月氏(2)メディアから安定へ-4

  月氏は敦煌と祁連山(両方とも甘粛省内)との間にいたと

 史記大宛列伝はいう。

 同列伝は紀元前一三九年に

 前漢の武帝が張騫を西域の大月氏に向けて派遣した事情と

 西域・中央アジアの状況を報告したものである。

 月氏について中国の史料には和氏、禹氏、牛氏などと表記される。

 「漢書地理志」で月氏道の名を載せた安定は

 現在の安西、安北、安南(新疆区)がその遺称で甘粛省の西の端にあり、

 敦煌を中心とする。

 そのまた西南の外れに現在、

 阿克塞阿哈薩克(アクサイ・カザフ)族自治県があるが、

 その都市名が博罗轉井である。

 同市名を中国語読みすると、Pak-luo-zhuan-jing となるが、

 これはパリサイで

 英語の pharisee 、

 ドイツ語のPharisäer であり、

 キリスト教の時代に

 「内面的戒律よりも外面的規則を重要視した

  ユダヤの政治宗教的一団」の名に対応するもので、

 ヘブライ語と解釈できるのである。

 ここにおけるその銘名は、そのような宗教的立場の表明ではなく、

 その原義が「離れている者」であることから、

 遠く原郷のイスラエルを離れているとの意味に解釈できる。

 民族名は中国語の訓音では A-ke-Sak-Ha-sa-Ke となる。

 Hasaka 哈薩克はカザフ Kazakh 族のことである。

 その母体はウィグル族で、

 九世紀にモンゴルの東部にいたが契丹に追われて西遷し、

 一部がこの地方に定住し遊牧から農業へと生活の形態を変えた。

 彼等をウィグル・カザフ族といい、

 後に単にカザフ族といわれるようになった。

 ARPACHIYAH 1976:高床式神殿
 (アルパチア遺跡出土の碗形土器に描かれている) 

  
 牛頭を象った神社建築の棟飾部



 『参考』

 Tell Arpachiyah (Iraq)    
 
 ハラフ期の土器について

 アルパチア遺跡出土の碗形土器

 ハブール川
 ハブール川(ハブル川、カブル川、Khabur、Habor
、Habur、Chabur、アラム語:ܚܒܘܪ, クルド語:Çemê Xabûr, アラビア語:نهر الخابور Bahr al-Chabur

 ARPACHIYAH 1976

 高床式神殿

 牛頭を象った神社建築の棟飾部

 神社のルーツ

 鳥居のルーツ

イスラエルと月氏(2)メディアから安定へ-3

 
 『Yahoo!天気・災害』

 創世紀―牛角と祝祭・その民族系譜―

 著述者:歴史学講座「創世」 小嶋 秋彦

 執筆時期:1999~2000年

 旧約聖書「創世記」:牛角と祝祭・その民族系譜:341頁

 第六章 イスラエル人と月氏:イスラエルと月氏(2)メディアから安定へ-3

 ソグディアナから東方へ行く交通路の途次、

 天山山脈の北の草原を行くと弓月城を過ぎ、

 同山脈の東端を回るとトルファン(高咼)へと出る。

 ここにはベゼクリクの町があった。

 この町名もヘブライ人の残した名称とみられる。

 Bezeklik の beze- はベツレヘム Bethlehem の beth で家を表す。

 ヤコブが夢に見た「神の家」の地である。

 Klik は

 ヘブライ語の kirkh で、

 ドイツ語の kirche 、

 英語の church と同語である。

 キリスト教の場合には、教会、寺院であるが、

 その内容は「礼拝堂、聖堂、神殿」あるいは「信徒」を意味する。

 さらにその原義は「礼拝、祈祷」である「神事」を表す。

 よって、 Bezeklik も「神殿」のことである。

 現在中国名胜金台という町がここにある。

 Śheng-jin-taù は Singer あるいは Sinagug の転訛とみられ、

 ベズクリクと同じ神殿の字義である。

 ARPACHIYAH 1976:高床式神殿
 (アルパチア遺跡出土の碗形土器に描かれている) 

  
 牛頭を象った神社建築の棟飾部


 『参考』

 Tell Arpachiyah (Iraq)    
 
 ハラフ期の土器について

 アルパチア遺跡出土の碗形土器

 ハブール川
 ハブール川(ハブル川、カブル川、Khabur、Habor
、Habur、Chabur、アラム語:ܚܒܘܪ, クルド語:Çemê Xabûr, アラビア語:نهر الخابور Bahr al-Chabur

 ARPACHIYAH 1976

 高床式神殿

 牛頭を象った神社建築の棟飾部

 神社のルーツ

 鳥居のルーツ

2013年11月29日金曜日

イスラエルと月氏(2)メディアから安定へ-2

 
 『Yahoo!天気・災害』

 創世紀―牛角と祝祭・その民族系譜―

 著述者:歴史学講座「創世」 小嶋 秋彦

 執筆時期:1999~2000年

 旧約聖書「創世記」:牛角と祝祭・その民族系譜:340頁

 第六章 イスラエル人と月氏:イスラエルと月氏(2)メディアから安定へ-2

 「高い所」の信仰はバアル神信仰で、その象徴は牡牛である。

 サマルカンド近郊の町キシュ Kish はヘブライ語で

 「牡牛の」の意味の kiish によるだろう。

 ソクディアナには牡牛に係わる地名がよくみられる。

 そこを流れる川の名称アム Amu はシュメル語で野牛である。

 後世オクサス óxus となるが、

 これはヨーロッパ語圏の用語で牡牛である。

 サマルカンドキシュの間の町

 マイムルク Maimurg はセム語で三日月を表す。

 一三世紀から一四世紀にかけて

 エジプトから地中海東岸のアレッポまでを支配においたイスラムの

 マメルク Mameluku 朝名と同義である。

 このようにソグディアナが牡牛の祝祭を行っていた可能性があり、

 その担い手がサマリアから移動させられたメディア周辺にいたヘブライ人で、

 メディア国の拡大の時期に

 中央アジアまでさらに移動したのではないかと推測される。


 ARPACHIYAH 1976:高床式神殿
 (アルパチア遺跡出土の碗形土器に描かれている) 
  
 牛頭を象った神社建築の棟飾部


 『参考』

 Tell Arpachiyah (Iraq)    
 
 ハラフ期の土器について

 アルパチア遺跡出土の碗形土器

 ハブール川
 ハブール川(ハブル川、カブル川、Khabur、Habor
、Habur、Chabur、アラム語:ܚܒܘܪ, クルド語:Çemê Xabûr, アラビア語:نهر الخابور Bahr al-Chabur

 ARPACHIYAH 1976

 高床式神殿

 牛頭を象った神社建築の棟飾部

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 鳥居のルーツ

イスラエルと月氏(2)メディアから安定へ-1

 
 『Yahoo!天気・災害』

 創世紀―牛角と祝祭・その民族系譜―

 著述者:歴史学講座「創世」 小嶋 秋彦

 執筆時期:1999~2000年

 旧約聖書「創世記」:牛角と祝祭・その民族系譜:339頁

 第六章 イスラエル人と月氏:イスラエルと月氏(2)メディアから安定へ-1

  ヘブライ人が月氏に本当になったのかについて考察してみたい。

 まず、ソクディアナ Sogdiana についてである。

 この地名がヘブライ語で解釈した場合

 「神を崇拝する」の意味であるとの指摘はすでになされている。

 Shoykhet(Shokhtim) がそれに相当する用語であるが、

 「儀式のための屠殺」が本義である。

 その祖語はシュメル語の sukud-e-en

  「神を高くする」に想定してよいだろう。

 Sukud はメソポタミアの高床式神殿で検討した用語である。

 この語は神域を表す suk 、 sug と関連し、

 ソクディアナ名の語幹と考えられる。

 烈王紀下は「高き所を建てたの」でサマリアは取られたと述べており、

 ヘブライ人がそのままの信仰をここに持って来たとしてもおかしくない。

 そのサマリア名をつけたのが

 ソクディアナの中心都市サマルカンドであると考えることもできる。

 ARPACHIYAH 1976:高床式神殿
 (アルパチア遺跡出土の碗形土器に描かれている) 

  
 牛頭を象った神社建築の棟飾部


『参考』

 Tell Arpachiyah (Iraq)    
 
 ハラフ期の土器について

 アルパチア遺跡出土の碗形土器

 ハブール川
 ハブール川(ハブル川、カブル川、Khabur、Habor
、Habur、Chabur、アラム語:ܚܒܘܪ, クルド語:Çemê Xabûr, アラビア語:نهر الخابور Bahr al-Chabur

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 高床式神殿

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2013年11月28日木曜日

イスラエルと月氏(1)アッシリアへの強制移住-5

 
 『Yahoo!天気・災害』

 創世紀―牛角と祝祭・その民族系譜―

 著述者:歴史学講座「創世」 小嶋 秋彦

 執筆時期:1999~2000年

 旧約聖書「創世記」:牛角と祝祭・その民族系譜:338頁

 第六章 イスラエル人と月氏:イスラエルと月氏(1)アッシリアへの強制移住-5

  漢書地理志の安定項中に「月氏道」の名称がある。

 現在の廿粛省酒泉敦煌県の辺りに当たる。

 史記大宛列伝に匈奴に対抗するため漢の武帝が使者張鶱を遣わした国である。

 この時月氏の一部はバクトリアに移動(紀元前一七六年)も大月氏となっていた。

 移動の途中彼等等イリ川の水源の地方伊犁に弓月城を築きしばらく留まった。

 弓月は三日月の比喩名である。

 また、バクトリアの彼等の首都名を大宛列伝は藍市城と記すが、

 これは中国語で Jirm-shi と発音される。

 ARPACHIYAH 1976:高床式神殿
 (アルパチア遺跡出土の碗形土器に描かれている)

  

牛頭を象った神社建築の棟飾部


 『参考』

 Tell Arpachiyah (Iraq)    
 
 ハラフ期の土器について

 アルパチア遺跡出土の碗形土器

 ハブール川
 ハブール川(ハブル川、カブル川、Khabur、Habor
、Habur、Chabur、アラム語:ܚܒܘܪ, クルド語:Çemê Xabûr, アラビア語:نهر الخابور Bahr al-Chabur
 ハブール川(ハブル川、カブル川、Khabur、Habor
、Habur、Chabur、アラム語:ܚܒܘܪ, クルド語:Çemê Xabûr, アラビア語:نهر الخابور Bahr al-Chabur

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 高床式神殿

 牛頭を象った神社建築の棟飾部

 神社のルーツ

 鳥居のルーツ

イスラエルと月氏(1)アッシリアへの強制移住-4

 
 『Yahoo!天気・災害』

 創世紀―牛角と祝祭・その民族系譜―

 著述者:歴史学講座「創世」 小嶋 秋彦

 執筆時期:1999~2000年

 旧約聖書「創世記」:牛角と祝祭・その民族系譜:337頁

 第六章 イスラエル人と月氏:イスラエルと月氏(1)アッシリアへの強制移住-4

 そのため、その版図はアナトリアからバクトリア、パンジャブにまで及んだ。

 その間移動させられたイスラエル人たちがどうしたのかは全く解らない。

 だが、紀元前四世紀になると、

 中国の西北方面甘粛省あたりに月氏 Yuen-shih が現われるが、

 この部族がイスラエルと近似している。

 その原語はヘブライ語の יעד yad の転訛であり、

 その字義は「記念碑」を表す。

 この記念碑とはイスラエル十部族の象徴である。

 ヨシュア記第二二章で

 「ルベンの子孫ガドの子孫およびマナセの部族」

 「半ばカナンの地のほとりにきた時、
 
  その所で、ヨルダンの岸辺に一つの祭壇を築いた。

  それは大きく遠くから見える祭壇であった。」

 「ルバンの子孫とガドの子孫は、

  その祭壇を「あかし」と名づけて言った。

  これは、われわれの間にあって、

  主が神にいますというあかしをするものである。」

 に由来するもので、

 「あかし」(証拠)のヘブライ語は

  IDVT iedut あるいは IDH ieed と表記され、

  YD yad (記念碑)との関係をみせているばかりでなく、

 月氏 yueh-shin 」および義徒 i-tsung の原語であるのである。

 ヨシュア記の詳しい解説からすると、

 「記念碑(祭壇)」はイスラエル人(失われた十部族)の代名詞である。

 ARPACHIYAH 1976:高床式神殿
 (アルパチア遺跡出土の碗形土器に描かれている) 

  
 牛頭を象った神社建築の棟飾部


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 Tell Arpachiyah (Iraq)    
 
 ハラフ期の土器について

 アルパチア遺跡出土の碗形土器

 ハブール川
 ハブール川(ハブル川、カブル川、Khabur、Habor
、Habur、Chabur、アラム語:ܚܒܘܪ, クルド語:Çemê Xabûr, アラビア語:نهر الخابور Bahr al-Chabur
 

イスラエルと月氏(1)アッシリアへの強制移住-3

 
 『Yahoo!天気・災害』

 創世紀―牛角と祝祭・その民族系譜―

 著述者:歴史学講座「創世」 小嶋 秋彦

 執筆時期:1999~2000年

 旧約聖書「創世記」:牛角と祝祭・その民族系譜:336頁

 第六章 イスラエル人と月氏:イスラエルと月氏(1)アッシリアへの強制移住-3

 この条句のなかでいう

 「主が彼らの前から捕らえ移された異邦人」とは

 カナアン人のバアル信仰を表す聖書の慣用句である。

 「高き所」とはアルパチア遺跡の高床式神殿からジクラトまで

 すでに熟知の宗教的建立物である。

 紀元前八世紀のヘブライにおいては、まだバアル神信仰が根強く、

 アッシリア(メディア)へ移住させられた人々の信仰が

 ユダヤ教だけでなかったことを明らかに物語っているのである。

 西欧の学究は、

 失われた十支族として世界中にユダヤ教徒の痕跡を捜し回ったが、

 それは矛盾である。

 移住した人々が持っていた信仰は

 バアル神信仰や、でもあったと考えるべきである。

  次の注意点は、

 移動させられた先メディア

 牛頭信仰の古くから行われていた地方であったことである。

 ハブール Kabir 名の残る地帯の一部せある。

 メディア国は紀元前六二五年に建国し

 六一三年に新アッシリアを滅亡させた。

 ARPACHIYAH 1976:高床式神殿
 (アルパチア遺跡出土の碗形土器に描かれている) 

  
 牛頭を象った神社建築の棟飾部


 『参考』

 Tell Arpachiyah (Iraq)    
 
 ハラフ期の土器について

 アルパチア遺跡出土の碗形土器

 ハブール川
 ハブール川(ハブル川、カブル川、Khabur、Habor
、Habur、Chabur、アラム語:ܚܒܘܪ, クルド語:Çemê Xabûr, アラビア語:نهر الخابور Bahr al-Chabur

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 高床式神殿

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2013年11月27日水曜日

イスラエルと月氏(1)アッシリアへの強制移住-2

 
 『Yahoo!天気・災害』

 創世紀―牛角と祝祭・その民族系譜―

 著述者:歴史学講座「創世」 小嶋 秋彦

 執筆時期:1999~2000年

 旧約聖書「創世記」:牛角と祝祭・その民族系譜:335頁

 第六章 イスラエル人と月氏:イスラエルと月氏(1)アッシリアへの強制移住-2

  ところで、この事件を聖書はどうとらえたかであるが、

 第一八章は続けて述べる。

    これは彼らがその神、主の言葉にしたがわず、

   その契約を破り、主のしもべモーセの命じたすべての事に耳を傾けず、

   また行わなかったからである。

  つまり、イスラエルの人々は、

 モーセにシナイ山で語りかけた主(ヤハウェ)の言葉で

 「十戒」などに従わなかったからだといっているのである。

 彼等は現在の言葉でいうと

 ユダヤ教を信奉しなかったからだということになる。

 第一七章でさらに詳しくその理由を説明している。

    イスラエルの人々は、

   その神、主にむかって正しからぬ事をひそかに行い。 
  
   見張台から堅固な町に至るまで、

   すべての町々に高き所を建て、

   またすべての高い丘の上、

   すべての青木の下に石の柱とアシラ像を立て、

   主が彼等の前から捕らえ移された異邦人がしたように、

   すべての高い所で香をたき、

   悪事を行って主を怒らせた。

 ARPACHIYAH 1976:高床式神殿
 (アルパチア遺跡出土の碗形土器に描かれている) 

  
 牛頭を象った神社建築の棟飾部


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 ハラフ期の土器について

 アルパチア遺跡出土の碗形土器

 ハブール川
 ハブール川(ハブル川、カブル川、Khabur、Habor
、Habur、Chabur、アラム語:ܚܒܘܪ, クルド語:Çemê Xabûr, アラビア語:نهر الخابور Bahr al-Chabur

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 高床式神殿

 牛頭を象った神社建築の棟飾部

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イスラエルと月氏(1)アッシリアへの強制移住-1

 
 『Yahoo!天気・災害』

 創世紀―牛角と祝祭・その民族系譜―

 著述者:歴史学講座「創世」 小嶋 秋彦

 執筆時期:1999~2000年

 旧約聖書「創世記」:牛角と祝祭・その民族系譜:334頁

 第六章 イスラエル人と月氏:イスラエルと月氏(1)アッシリアへの強制移住-1

  烈王紀下の第一八章は次のように記す。

 アッスリアの王はついにサマリアを取り、

 イスラエルの人々をアッスリアに捕らえていって、

 ハラとゴザンの川にハボルのほとりをメディアの町々においた。

  この事件は、

 シャルウマネセル三世が

 紀元前七二二年にパレスチナへ侵攻した際のことであった。

 第十七章でイスラエルのアハズ王が会った

 アッシリアのティグラト・ピレセル三世の治世は

 紀元前七四四年から七二七年であり、

 続くシャルウマネセル五世の治世は七二六年から七二二年であり、

 烈王紀のいうアッスリアの王シャルウマネセル五世こととなる。

  イスラエルの人々が移住させられた地は、

 ザクロス山中のメディア国が建国された時首都が置かれたエクバタナ、

 現在のケルマンシャアの近辺である。

  ハラ Halah アッシリア時代のハルハルで、

 現在のカルへ Khareh 川の沿岸 karand あたりであろう。

 カルへ川の上流に khara 川がある。

  ゴザン Gozan は、

 ディヤラ川の水源の盆地近く現アルヴァト山の麓で

 ゴディン Godin の地名がある。

 ゴディン・テペと呼ばれる旧石器時代からの遺跡がある。

  ハボル Habor は、ザクロス山脈の西側イラクとの国境にある

 カビル kabir 山地に因むものとみられるが、

 その周辺の地であろう。

  メディア Medea は、

 メソポタミアの東側のアッシリアを滅亡させた国の名称であるが、

 イスラエル人が連行された当時はまだケルマンシャアを中心とする

 狭い領国であったから同市周辺とみられる。

 ARPACHIYAH 1976:高床式神殿
 (アルパチア遺跡出土の碗形土器に描かれている) 

  
 牛頭を象った神社建築の棟飾部


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 ハラフ期の土器について

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 ハブール川
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、Habur、Chabur、アラム語:ܚܒܘܪ, クルド語:Çemê Xabûr, アラビア語:نهر الخابور Bahr al-Chabur

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2013年11月26日火曜日

ヤハウェと祝祭-4

 
 『Yahoo!天気・災害』

 創世紀―牛角と祝祭・その民族系譜―

 著述者:歴史学講座「創世」 小嶋 秋彦

 執筆時期:1999~2000年

 牛角と祝祭・その民族系譜:333頁

 第五章 旧約聖書「創世記」:ヤハウェと祝祭-4

  もし、その供え物が牛の燔祭であるならば、

  雄牛の全きものをささげんければあらない。

  会見の幕屋の入口で、主の前に受け入れられるように、

  これをささげなければならない。

  彼はその燔祭の獣の頭に手を置かなければならない。

  そうすれば受け入れられて、彼のために贖いとなるであろう。

  彼は主の前でその子牛をほふり、

  アロンの子なる祭司たちは、その血を携えてきて、

  会見の幕屋の入口にある祭壇の周囲に、

  その血を注ぎかけなければならない。

  彼はまた、その燔祭の獣の皮を剥ぎ、

  節々に切り分かたなければならない。

  祭司アロンの子たちは祭壇の上に火を置き、

  その火の上に薪をならべ、
 
  アロンの子なる祭司たちはその切り分けたものを、

  頭および脂肪と共に、

  祭壇の上にある火の上の薪の上に並べなければならない。

  その内臓と足とは水で洗わなければならない。

  こうして祭司はそのすべてを祭壇の上で焼いて

  燔祭としなければならない。

  これは火祭であって主にささげる香ばしいかおりである。

 ARPACHIYAH 1976:高床式神殿
 (アルパチア遺跡出土の碗形土器に描かれている) 

  
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 ハブール川
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、Habur、Chabur、アラム語:ܚܒܘܪ, クルド語:Çemê Xabûr, アラビア語:نهر الخابور Bahr al-Chabur

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ヤハウェと祝祭-3

 
 『Yahoo!天気・災害』

 創世紀―牛角と祝祭・その民族系譜―

 著述者:歴史学講座「創世」 小嶋 秋彦

 執筆時期:1999~2000年

 牛角と祝祭・その民族系譜:332頁

 第五章 旧約聖書「創世記」:ヤハウェと祝祭-3

  そこには供え物が、牛、羊ないし山羊、鳥など穀物についても

 それぞれの供儀の仕方について述べられている。

 どのような内容であったか、

 牛の場合のみについて(日本聖書教会版)転載する。

  アブラムはカルディアのウルに父テラとともに居住していた。

 そこはシュメルと呼ばれた土地である。

 その原義は Šum-e-lu (供儀する-を-動物)であったかもしれない。

 ヘブライ人は、

 祝祭を中枢とする文化を強力に推進した民族であったのである。

 ARPACHIYAH 1976:高床式神殿
 (アルパチア遺跡出土の碗形土器に描かれている) 

  
 牛頭を象った神社建築の棟飾部


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 ハラフ期の土器について

 アルパチア遺跡出土の碗形土器

 ハブール川
 ハブール川(ハブル川、カブル川、Khabur、Habor
、Habur、Chabur、アラム語:ܚܒܘܪ, クルド語:Çemê Xabûr, アラビア語:نهر الخابور Bahr al-Chabur

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 高床式神殿

 牛頭を象った神社建築の棟飾部

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 鳥居のルーツ

ヤハウェと祝祭-2

 
 『Yahoo!天気・災害』

 創世紀―牛角と祝祭・その民族系譜―

 著述者:歴史学講座「創世」 小嶋 秋彦

 執筆時期:1999~2000年

 牛角と祝祭・その民族系譜:331頁

 第五章 旧約聖書「創世記」:ヤハウェと祝祭-2

  モーセは主によって啓示を受ける。

   あなたはイスラエルの長老たちと一緒に

  エジプトの王のところへ行って言いなさい。

  『ヘブルびとの神、王がわたしたちに現われました。

   それでわたしたちを三日の道のりほど荒野に生かせて、

   わたしたちの神、

   主に犠牲をささげることを許してください』と。

  それがヘブライ人たちをエジプトから解放するための

 第一歩の手段であった。

 ここにも表れるように主ヤハウェに犠牲をささげる行いは

 重要な宗教的行為であった。

 しかもヤハウェはヘブライ人に燔祭を行うことを求め、

 生であったり、煮たりすることは許されなかった。

 燔祭の儀礼について詳細に解説しているのが「レビ記」である。

 ARPACHIYAH 1976:高床式神殿
 (アルパチア遺跡出土の碗形土器に描かれている) 

  
 牛頭を象った神社建築の棟飾部

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 ハラフ期の土器について

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 ハブール川
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、Habur、Chabur、アラム語:ܚܒܘܪ, クルド語:Çemê Xabûr, アラビア語:نهر الخابور Bahr al-Chabur

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 鳥居のルーツ

ヤハウェと祝祭-1

 
 『Yahoo!天気・災害』

 創世紀―牛角と祝祭・その民族系譜―

 著述者:歴史学講座「創世」 小嶋 秋彦

 執筆時期:1999~2000年

 牛角と祝祭・その民族系譜:330頁

 第五章 旧約聖書「創世記」:ヤハウェと祝祭-1

  ノアは箱舟が大洪水の後、地に着いてから神に犠牲を献げた。

 セムはシュメル語の šam (供儀する)、

 アルパクサデは牛頭(牛首)の意味であった。

 アブラムはアッカド語による神話において

 神々に献供する者の名であった。

 ヤコブは「神の門」「神の家」を夢に見て石柱を立て

 神に収穫物の十分の一を献供することを約束した。

 モーセも

 「アカシア材で燔祭(はんさい)の祭壇を造った

  (出エジプト記第三八章)」のである。

 ARPACHIYAH 1976:高床式神殿
 (アルパチア遺跡出土の碗形土器に描かれている) 

  
 牛頭を象った神社建築の棟飾部


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 ハラフ期の土器について

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 ハブール川
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2013年11月25日月曜日

ヤハウェとモーセ-8

 
 『Yahoo!天気・災害』

 創世紀―牛角と祝祭・その民族系譜―

 著述者:歴史学講座「創世」 小嶋 秋彦

 執筆時期:1999~2000年

 牛角と祝祭・その民族系譜:329頁

 第五章 旧約聖書「創世記」:ヤハウェとモーセ-8

  ヤハウェは全能の神と表記されているが、

 ヘブライ語によると el šedne (山の神)である。

 モーセは、神の山ホレブでその啓示を受けた。

 つまり山の高みに座す神と理解される。

 「有りて有る者」の用法のねらいとするところは

 ヤハウェが「最高の神」であることを示唆するにある。

 旧約聖書には
 
 ヘブライ人以外の人々が他の神を崇拝している状況を

 繰り返し述べられるが、

 それらの神々の中で最高の神であることを言っているのである。

 そしてヘブライ人には「唯一神」であることを教唆しているのである。

 シヴァ神が deva ti deva と表現されると同様に。

 ARPACHIYAH 1976:高床式神殿
 (アルパチア遺跡出土の碗形土器に描かれている) 

  
 牛頭を象った神社建築の棟飾部


 『参考』

 Tell Arpachiyah (Iraq)    
 
 ハラフ期の土器について

 アルパチア遺跡出土の碗形土器

 ハブール川
 ハブール川(ハブル川、カブル川、Khabur、Habor
、Habur、Chabur、アラム語:ܚܒܘܪ, クルド語:Çemê Xabûr, アラビア語:نهر الخابور Bahr al-Chabur

 ARPACHIYAH 1976

 高床式神殿

 牛頭を象った神社建築の棟飾部

 神社のルーツ

 鳥居のルーツ

ヤハウェとモーセ-7

 
 『Yahoo!天気・災害』

 創世紀―牛角と祝祭・その民族系譜―

 著述者:歴史学講座「創世」 小嶋 秋彦

 執筆時期:1999~2000年

 牛角と祝祭・その民族系譜:328頁

 第五章 旧約聖書「創世記」:ヤハウェとモーセ-7

  エンキ(エア)神は、また人類の保護者で救済者であった。

 ギルガメッシュ叙事詩において

 ウタナピシュティムに大洪水の予告をしてその一族を救済した。

 ノアの箱舟伝承における主の役割、

 エジプトからヘブライ人を脱出・解放させた役割に相当する。

  「有って有る者」 AHYH ASHR AHYH は、また

 「有る者を授ける有る者」とも理解できるが、

 これは何を表現しようとしているのであろうか。
 
 サンスクリット語に deva ti deva という結句がる。

 これは「最高神」を表す。

 deva は「輝やく」の意であるので「輝いて輝く者」の意であるが、

 インド・ヨーロッパ語に影響を与えたグルジア語に

 「山がある」 devs があるので、

 この語も「有って有る者」を本来意味したものと考えられる。

 時にシヴァ神の尊称として使われる用語で、

 シヴァ神はヒマラヤのカイラーサ山に住む山の神でもある。

 また、インドの神の中でも一神教的雰囲気を持ち、

 この結句はそのような信徒集団により使われた。

 ARPACHIYAH 1976:高床式神殿
 (アルパチア遺跡出土の碗形土器に描かれている) 

  
 牛頭を象った神社建築の棟飾部


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 ハブール川
 ハブール川(ハブル川、カブル川、Khabur、Habor
、Habur、Chabur、アラム語:ܚܒܘܪ, クルド語:Çemê Xabûr, アラビア語:نهر الخابور Bahr al-Chabur

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ヤハウェとモーセ-6

 
 『Yahoo!天気・災害』

 創世紀―牛角と祝祭・その民族系譜―

 著述者:歴史学講座「創世」 小嶋 秋彦

 執筆時期:1999~2000年

 牛角と祝祭・その民族系譜:327頁

 第五章 旧約聖書「創世記」:ヤハウェとモーセ-6

  まず、この節句はセム語の一言語アッカドに依るものと考えられる。

  ASHR はアッカドの asuru で「包囲する、含有する」を

 意味する動詞であると同時に、ジャン・ボデロが

 「メソポタミア」で説くところの関係代名詞の役割を果たす。

 同書はマルドゥク神の別称としてその例を上げる。


  農業を援ける者       šârúk mêrešti

  (畑の)区画を定める者    ša ęşrata ukinnu

  穀物の創造性        bânû šeám u gê

  (あらゆる)緑のものの生産者 mišeşş urgiti

  アシェルの完全な表現はないが、

 楔形文字の構成の中に含まれているのである。

 次に、AHYH であるが、

 これはアッカド語の神名 Eā に依拠しているように思える。

 エアはシュメルのエンキ神のことで、

 その主神殿がエリドゥ市にあったことは累々述べてきたところである。

 ジャン・ボデロは Eā が Ayya Aya Ya に起源が遡ると説く。

 エンキ神はアプス Apsu (地下の淡水) の神であり、

 モーセを水の力をもって支援したその神威と相通じる。

 創世記第二一章にみられるアブラハムの時代イサクの掘った井戸のある

 ベエルシバの伝承に現われた神でもある。

 ARPACHIYAH 1976:高床式神殿
 (アルパチア遺跡出土の碗形土器に描かれている) 

  
 牛頭を象った神社建築の棟飾部


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 ハブール川(ハブル川、カブル川、Khabur、Habor
、Habur、Chabur、アラム語:ܚܒܘܪ, クルド語:Çemê Xabûr, アラビア語:نهر الخابور Bahr al-Chabur

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ヤハウェとモーセ-5

 
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 創世紀―牛角と祝祭・その民族系譜―

 著述者:歴史学講座「創世」 小嶋 秋彦

 執筆時期:1999~2000年

 牛角と祝祭・その民族系譜:326頁

 第五章 旧約聖書「創世記」:ヤハウェとモーセ-5

  ここに述べられる「わたしは有って有る者」は、

 英語において I am who Iam. あるいは I am that I am. 表記されている。

 ユダヤ出版教会発行の英語版には、

 éhyeh ášer éhyeh 〔エイェ・アシュル・エイェ〕 と表記され、

 ヘブライ語で éhyeh が「わたしはある」、

  ášer が関係代名詞で「~ところの」「~のもの」の字義である。

 しかし、

 旧約聖書のヘブライ語版には AHYH ASHR AHYH と子音のみが記されており、

 このための母音をどのように補うかが課題で

 諸説が生ずる原因となっているのである。

 古ヘブル語の語根 hwh により ahweh 、ヤハウェ yahweh と理解されており、

 英語名 Jehova もこれに由来する。

  聖書が AHYH 「わたしは有る」というかたが、

 わたしをあなたがたのところへつかわされましたと述べるからには、

 AHYH 〔エイェ〕が中核的神格であると考えることができる。

 このエイェについて考察してみたい。

 ARPACHIYAH 1976:高床式神殿
 (アルパチア遺跡出土の碗形土器に描かれている) 
  

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2013年11月24日日曜日

ヤハウェとモーセ-4

 
 『Yahoo!天気・災害』

 創世紀―牛角と祝祭・その民族系譜―

 著述者:歴史学講座「創世」 小嶋 秋彦

 執筆時期:1999~2000年

 牛角と祝祭・その民族系譜:325頁

 第五章 旧約聖書「創世記」:ヤハウェとモーセ-4

  このようにモーセには水と係わる伝承が強烈である。

 モーセに水を操る力を与えたのは神である。

 神はモーセに対し語る。

 「わたしは主である。

  わたしはアブラハム、イサク、ヤコブに全能の神として現われたが、

  主という名では自分を彼等に知らせなかった」(創世記第六章)

 ヘブライ人の神はここで初めてその名が

 主 YHVH〔YHWH〕(ヘブライ語)であることを明かす。

 創世記第三章において、

 主は神の山ホレブでモーセに自らについて説明する。

   わたしは、

  あなたの先祖の神、アブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神である。

  モーセは神に言った。

  「わたしがイスラエルの人々のところへ行って、

   彼等に

   『あなたがたの先祖の神が、

    わたしをあなたがたのところへつかわされました』と言うとき、

   彼等が

   『その名はなんというのですか』と

   わたしに聞くならば、なんと答えましょうか。」

  神はモーセに言われた、

  「わたしは、有って有る者。」

  また言われた。

  「イスラエルの人々にこう言いなさい。

   『「わたしはある」というかたが、

    わたしをあなたがたのとことへつかわされました』と。

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 (アルパチア遺跡出土の碗形土器に描かれている) 

  
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ヤハウェとモーセ-3

 
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 創世紀―牛角と祝祭・その民族系譜―

 著述者:歴史学講座「創世」 小嶋 秋彦

 執筆時期:1999~2000年

 牛角と祝祭・その民族系譜:324頁

 第五章 旧約聖書「創世記」:ヤハウェとモーセ-3

  更に、モーセがヘブライ人を引率してエジプトを出る際に

 海を割いて陸地として彼等を渡らせ、

 追いかけるエジプトの軍隊を水没させた。

 「モーセが手を海の上に差し延べたので、

  主は夜もすがら強い東風をもって海を退かせ、

  海を陸地とされ、水は分かれた。

  イスラエルの人々は海の中の乾いた地を行ったが、

  水は彼等の右左に垣となった。

  エジプトびとは追っ手きて、

  パロの全ての馬と戦車と騎兵とは、

  彼等の後について海の中に入った。

  (中略)そのとき、主はモーセに言われた。

  『あなたの手を海の上に差し伸べて、水をエジプトびとと、

   その戦車と騎兵との上に流れ返らせなさい』

  モーセが手を海の上に差し伸べると、

  夜明けになって海はいつもの流れに返り、

  エジプトびとはこれに向かって逃れたが、

  主はエジプトびとを海の中に投げ込まれた。」

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 (アルパチア遺跡出土の碗形土器に描かれている) 

  
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2013年11月23日土曜日

ヤハウェとモーセ-2

 
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 創世紀―牛角と祝祭・その民族系譜―

 著述者:歴史学講座「創世」 小嶋 秋彦

 執筆時期:1999~2000年

 牛角と祝祭・その民族系譜:323頁

 第五章 旧約聖書「創世記」:ヤハウェとモーセ-2

 彼女は「水の中から私が引き出したから」といって

 モーセの名を与える。

 モーセはヘブライ語 mis (水)に由来する名前である。

 モーセ名はヘブライ語ではモーシェ MshH で、

 その文法上の習慣により MshH の M の下に。を付けることにより

 音訓が moshe となり水を意味する。

 英語などの本書においては通称に従いモーセと表現する。

  確かにモーセの物語には水に係わる伝承が多い。

 エジプトを一人逃れて行った先ミデヤンの地の井戸の傍らに座していた時に

 祭司の娘七人に会う。

 そのうちの一人チッポラが彼の妻となる。

 神の山ホレブで神の啓示を受けたモーセが

 エジプトのファラオの下に帰り行った一つは

 その地の水をすべて血に変えてしまうことであった。

 「彼はパロとその家来たちの目の前で、

  杖を上げてナイル川の水を打つと川の水はことごとく血に変わった。

  それで川の魚は死に、川は臭くなり、

  エジプトびとは川の水を飲むことができなくなった。

  そしてエジプト全国にわたって血があった」と語られる。

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ヤハウェとモーセ-1

 
 『Yahoo!天気・災害』

 創世紀―牛角と祝祭・その民族系譜―

 著述者:歴史学講座「創世」 小嶋 秋彦

 執筆時期:1999~2000年

 牛角と祝祭・その民族系譜:322頁

 第五章 旧約聖書「創世記」:ヤハウェとモーセ-1

  セム系アッカド人がシュメルに都市国家を建設したが、

 その創立者はサルゴンと呼ばれたシャルル・キンであった。

 彼は乳幼児の時アスファルトを塗られた籠にに入れられ

 ユーフラテス川に流された。

 この伝説と同じように籠に入れられ

 川に流されたとの伝承を語られるのがモーセである。

  モーセ MshH の伝承は「出エジプト記」に語られるが、

 ヘブライ人がエジプトに下っていた時のことである。

 エジプトの王ファラオ(聖書ではパロ)が

 生まれたばかりのヘブライの男児をすべて殺すよう命じたことに始まる。

 ヘブライ人の支族レビ家に生まれた男児をその死を逃れるため

 母は籠に入れナイル川の葦の中に置いて流した。
 
 その籠はファラオの娘に拾われ、実母が乳母として育て、

 成長後にファラオの娘のところにつれていき、

 その息子として成長したという物語である。

 ARPACHIYAH 1976:高床式神殿
 (アルパチア遺跡出土の碗形土器に描かれている) 

  
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ヘブライ人とユダヤ人-4

 
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 創世紀―牛角と祝祭・その民族系譜―

 著述者:歴史学講座「創世」 小嶋 秋彦

 執筆時期:1999~2000年

 牛角と祝祭・その民族系譜:320頁

 第五章 旧約聖書「創世記」:ヘブライ人とユダヤ人-4

 ところで、月神を象徴する月の造形が満月でなく、

 なぜ、三日月なのであろうか、。

 それは紀元前八世紀の

 サハアルのバル・ラキブの石板にうかがわれるように

 牛頭の角を模しているからである。

 ウル市からは紀元前四千年紀の遅い時期に

 製作された牡牛に大麦を刻んだ石製の鉢が見つかっている。

 大麦と牡牛の組合せは犠牲にされる牡牛を表しており、

 ウル市においても牛供犠が行われていたことを示唆している。
 
  カルディアのウルにいたアブラム一族が

 この月神信仰に馴染んでいたと十分推測できる。

 アブラムの一族はハランに移るが、

 ハランからそう遠くないアレッポにも月神殿があった。

 その軌跡には月神の影がつきまとう。

  ヤコブの子ユダが生まれた時、

 母は「わたしは今、主を褒め称える」といって

 ユダと名づけたといっている「褒め称える」はセム語(アッカド語)で

 harviru であり、

 YHVDH(Judah) は月崇拝者(賛美者)を意味する。

 ARPACHIYAH 1976:高床式神殿
 (アルパチア遺跡出土の碗形土器に描かれている)
 
  
 牛頭を象った神社建築の棟飾部


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2013年11月22日金曜日

ヘブライ人とユダヤ人-3

)  『Yahoo!天気・災害』

 創世紀―牛角と祝祭・その民族系譜―

 著述者:歴史学講座「創世」 小嶋 秋彦

 執筆時期:1999~2000年

 牛角と祝祭・その民族系譜:320頁

 第五章 旧約聖書「創世記」:ヘブライ人とユダヤ人-3

 後の紀元前十世紀にヘブライ国を統一した<ダビデ王/a>は、

 このユダ家の出身で、

 その王国が分裂した時南方にできたのがユダ王国で、 

 現在ヘブライ人がユダヤ人と呼ばれるのはダビデ王の偉業に依拠する。

 ユダヤ人は三日月を象徴として信奉する。

 三日月はメソポタミアの支配的王権の象徴である太陽、金星とともに重要である。

 新バビロニアの紀元前六世紀のナボニドス王のものとみられる石盤には、

 目、太陽、金星が刻まれている。

 新アッシリア時代においても

 紀元前七世紀のエサルハドンがサムアルに建てた石碑、

 紀元前九世紀のシャムシ・アダト五世のカルフから

 出土した石碑にも刻まれている。

 三日月神はシュメル語でナンナ神といい、

 ウル市の主祭神でナンナ神殿があった。

 アブラムの一族が居住していた「カルディアのウル」で、

 発掘により知られている神殿は

 紀元前二一一二年から二〇〇四年にかけての建物とみられる。

 ナンナ神はセム語系であるアッカド語がシン Sin 神と呼ばれるが、

 その祖語は en-zu (神-月)である。
 
 《Key Word》

 前1200年のカタストロフ

 ARPACHIYAH 1976:高床式神殿
 (アルパチア遺跡出土の碗形土器に描かれている) 

  
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ヘブライ人とユダヤ人-2


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 創世紀―牛角と祝祭・その民族系譜―

 著述者:歴史学講座「創世」 小嶋 秋彦

 執筆時期:1999~2000年

 牛角と祝祭・その民族系譜:319頁

 第五章 旧約聖書「創世記」:ヘブライ人とユダヤ人-2

  ヘブライのヨルダン川の両岸から地中海沿岸の地方は

 サマリア Samria 地方である。

 この地方名は現在のサバステア Sabastea 町が

 サマリアといわれていたことによるが、

 セム Shem 族の名に依るものである。

 その別名サバステは、ローマ時代などには Sebaste であったが、

 その字義はヘブライ人がユダヤ教の儀式に従って

 家畜など撲滅の動物を屠殺することを意味する。

 サマリアは「供犠の地」の意味であり、

 セムがシュメル語の śum に依ることがわかる。

 ヘブルはハブール(祝)に同義なのである。

 サンスクリット語の Svista は「正規の献供」を意味する。

  ユダ YHVDH の名称は、

 アブラハムの孫ヤコブの子として初めて現われる。

 ARPACHIYAH 1976:高床式神殿
 (アルパチア遺跡出土の碗形土器に描かれている) 

  
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ヘブライ人とユダヤ人-1


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 創世紀―牛角と祝祭・その民族系譜―

 著述者:歴史学講座「創世」 小嶋 秋彦

 執筆時期:1999~2000年

 牛角と祝祭・その民族系譜:318頁

 第五章 旧約聖書「創世記」:ヘブライ人とユダヤ人-1

  アブラムはヘブロン Hebron で祭壇を築いたと記述されるが、

 実際は祭壇を築いたからそこをヘブロンと呼ぶ地名ができたのである。

 さらに重要なことは、

 この時を以って初めてヘブルびと IVRY(Hebri) となったのである。

 祭壇設置の後の創世記第一四章において

 初めて「ヘブルびとアブラム」とヘブルびとの呼称が現われる。

 この条句はヘブルびと、いわゆるヘブライ人の誕生を語っているのである。

 祭壇を築いたのは、祝祭を行うためである。

 ヘブライ人の祝祭は燔祭に限られる。

 その火祭はヘブライ語で IVLH(hevlai) と呼ばれる。

 その様式は祭壇の上で犠牲を焼くことである。

 この訓音が IVRY と極似しており、これがその原語であると推測される。

 ヘブロンはアブラハムの墳墓があるほか、

 ダビデ王が初めての都を建てた町である。

  この創世記第十三章に至るまでヘブルの名称は一切登場していない。

 例え近似したエベルなどの呼称があったとしてもである。

 IVRY(Hebri)は、「掲げる」意味の

 hebeen(ドイツ語)、

 bar(シュメル語)、

 アッカド語の hawilu(崇拝者) との同類語である。

 ということはカルト・イベリ人の呼称と関係することになる。

 また祭壇を築いて祭儀を行うのはハフリ(祝)の 行為であり、

 セム族(供犠の人々)である由縁である。

 ARPACHIYAH 1976:高床式神殿
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