2013年11月27日水曜日

イスラエルと月氏(1)アッシリアへの強制移住-1

 
 『Yahoo!天気・災害』

 創世紀―牛角と祝祭・その民族系譜―

 著述者:歴史学講座「創世」 小嶋 秋彦

 執筆時期:1999~2000年

 旧約聖書「創世記」:牛角と祝祭・その民族系譜:334頁

 第六章 イスラエル人と月氏:イスラエルと月氏(1)アッシリアへの強制移住-1

  烈王紀下の第一八章は次のように記す。

 アッスリアの王はついにサマリアを取り、

 イスラエルの人々をアッスリアに捕らえていって、

 ハラとゴザンの川にハボルのほとりをメディアの町々においた。

  この事件は、

 シャルウマネセル三世が

 紀元前七二二年にパレスチナへ侵攻した際のことであった。

 第十七章でイスラエルのアハズ王が会った

 アッシリアのティグラト・ピレセル三世の治世は

 紀元前七四四年から七二七年であり、

 続くシャルウマネセル五世の治世は七二六年から七二二年であり、

 烈王紀のいうアッスリアの王シャルウマネセル五世こととなる。

  イスラエルの人々が移住させられた地は、

 ザクロス山中のメディア国が建国された時首都が置かれたエクバタナ、

 現在のケルマンシャアの近辺である。

  ハラ Halah アッシリア時代のハルハルで、

 現在のカルへ Khareh 川の沿岸 karand あたりであろう。

 カルへ川の上流に khara 川がある。

  ゴザン Gozan は、

 ディヤラ川の水源の盆地近く現アルヴァト山の麓で

 ゴディン Godin の地名がある。

 ゴディン・テペと呼ばれる旧石器時代からの遺跡がある。

  ハボル Habor は、ザクロス山脈の西側イラクとの国境にある

 カビル kabir 山地に因むものとみられるが、

 その周辺の地であろう。

  メディア Medea は、

 メソポタミアの東側のアッシリアを滅亡させた国の名称であるが、

 イスラエル人が連行された当時はまだケルマンシャアを中心とする

 狭い領国であったから同市周辺とみられる。

 ARPACHIYAH 1976:高床式神殿
 (アルパチア遺跡出土の碗形土器に描かれている) 

  
 牛頭を象った神社建築の棟飾部


 『参考』

 Tell Arpachiyah (Iraq)    
 
 ハラフ期の土器について

 アルパチア遺跡出土の碗形土器

 ハブール川
 ハブール川(ハブル川、カブル川、Khabur、Habor
、Habur、Chabur、アラム語:ܚܒܘܪ, クルド語:Çemê Xabûr, アラビア語:نهر الخابور Bahr al-Chabur

 ARPACHIYAH 1976

 高床式神殿

 牛頭を象った神社建築の棟飾部

 神社のルーツ

 鳥居のルーツ

0 件のコメント: