2013年11月30日土曜日

イスラエルと月氏(2)メディアから安定へ-4

 
 『Yahoo!天気・災害』

 創世紀―牛角と祝祭・その民族系譜―

 著述者:歴史学講座「創世」 小嶋 秋彦

 執筆時期:1999~2000年

 旧約聖書「創世記」:牛角と祝祭・その民族系譜:342頁

 第六章 イスラエル人と月氏:イスラエルと月氏(2)メディアから安定へ-4

  月氏は敦煌と祁連山(両方とも甘粛省内)との間にいたと

 史記大宛列伝はいう。

 同列伝は紀元前一三九年に

 前漢の武帝が張騫を西域の大月氏に向けて派遣した事情と

 西域・中央アジアの状況を報告したものである。

 月氏について中国の史料には和氏、禹氏、牛氏などと表記される。

 「漢書地理志」で月氏道の名を載せた安定は

 現在の安西、安北、安南(新疆区)がその遺称で甘粛省の西の端にあり、

 敦煌を中心とする。

 そのまた西南の外れに現在、

 阿克塞阿哈薩克(アクサイ・カザフ)族自治県があるが、

 その都市名が博罗轉井である。

 同市名を中国語読みすると、Pak-luo-zhuan-jing となるが、

 これはパリサイで

 英語の pharisee 、

 ドイツ語のPharisäer であり、

 キリスト教の時代に

 「内面的戒律よりも外面的規則を重要視した

  ユダヤの政治宗教的一団」の名に対応するもので、

 ヘブライ語と解釈できるのである。

 ここにおけるその銘名は、そのような宗教的立場の表明ではなく、

 その原義が「離れている者」であることから、

 遠く原郷のイスラエルを離れているとの意味に解釈できる。

 民族名は中国語の訓音では A-ke-Sak-Ha-sa-Ke となる。

 Hasaka 哈薩克はカザフ Kazakh 族のことである。

 その母体はウィグル族で、

 九世紀にモンゴルの東部にいたが契丹に追われて西遷し、

 一部がこの地方に定住し遊牧から農業へと生活の形態を変えた。

 彼等をウィグル・カザフ族といい、

 後に単にカザフ族といわれるようになった。

 ARPACHIYAH 1976:高床式神殿
 (アルパチア遺跡出土の碗形土器に描かれている) 

  
 牛頭を象った神社建築の棟飾部



 『参考』

 Tell Arpachiyah (Iraq)    
 
 ハラフ期の土器について

 アルパチア遺跡出土の碗形土器

 ハブール川
 ハブール川(ハブル川、カブル川、Khabur、Habor
、Habur、Chabur、アラム語:ܚܒܘܪ, クルド語:Çemê Xabûr, アラビア語:نهر الخابور Bahr al-Chabur

 ARPACHIYAH 1976

 高床式神殿

 牛頭を象った神社建築の棟飾部

 神社のルーツ

 鳥居のルーツ

0 件のコメント: