ブログのタイトル「大学院講義歴史(創世紀)」は、 日本は平成から西暦2019年に元号が令和に御代代わりしました。 また20世紀も20年前に終わりました。 21世紀は日本にとっても私にとっても「黄金の世紀」です。 「黄金の世紀」に向ってそれぞれが邁進しましょう。 第二次世界大戦(日本にとっては大東亜戦争)が終了して75年目を迎えました。 更に2018年は明治維新からは150年になります。 この間の19世紀20世紀の日本の諸外国との政治外交の歴史は 事により未だ不透明な霧に覆われたままであります。 現在、日・中・韓で歴史認識が問題になっていますが それぞれの当時国が真実の歴史は何であるかの認識にたって 真剣に物事を考え、発言しないと言うだけでは問題の解決にはならない。 令和2年4月吉日
2012年12月8日土曜日
秦と景教徒は時代措誤、伊佐良井は石洗い
『Yahoo!天気・災害』
『出典』言語復原史学会・加治木義博:大学院講義録36:7頁
《秦と景教徒は時代措誤、伊佐良井は石洗い》
「秦と景教徒は時代措誤、伊佐良井は石洗い」
しかし、雄略天皇が倭の五王の一人「武」だったことを、
ご確認ずみの皆様には、ここまでお読み頂くと、
雄略天皇十五年にウツマサという号をもらった
秦の公・酒の一族は、
『宋書』の倭王・武の記事で、
460年ごろに我が国に実在していた人達だと解っているので、
2百年近くも後世の635年に、
やっと唐へ辿り着いた大秦景教徒たちとは、
全然無関係だとお解りになる。
また秦の一族はその後の消息が大量に詳しく記録残っている。
それは大半が文筆関係だからである。
これは漢字、漢文を使い慣れた中国人だった証拠で、
中でも目立つのは仏教の経師で、
東大寺建築関係の役職にもついている。
教義が異なると
同族でも大量虐殺したと『旧約聖書』に書き、
戦い追放するキリスト教徒では絶対にない。
それなのに
「秦の河勝をまっる広隆寺には
イスラエルの井戸と呼ばれるものが存在している」という。
正式名称は伊佐良井だが、
佐伯博士は景教経典のなかに「一賜楽業」の文字を発見、
これはイサラエと読めるからイスラエルのことだというのである。
けれども秦氏はキリスト教徒でもイスラエル人でもないのだから、
それは日本語で読む方が自然である。
それは、
水の良さを表現する「石洗い」の井戸というのが、
ごく自然な名前である。
石をイサと発音し伊佐と書くのは、
イサナキの命の例で確認ずみの記名習慣だ。
《パーリ語辞典》
「パーリ語辞典」
『参考』
『言語復原史学会:Web』
『言語復原史学会:画像』
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