2012年12月8日土曜日

秦と景教徒は時代措誤、伊佐良井は石洗い



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 『出典』言語復原史学会加治木義博大学院講義録36:7頁

 《秦と景教徒は時代措誤、伊佐良井は石洗い
 「秦と景教徒は時代措誤、伊佐良井は石洗い

 しかし、雄略天皇が倭の五王の一人「武」だったことを、

 ご確認ずみの皆様には、ここまでお読み頂くと、

 雄略天皇十五年にウツマサという号をもらった

 秦の公・酒の一族は、

 『宋書』の倭王・武の記事で、

 460年ごろに我が国に実在していた人達だと解っているので、

 2百年近くも後世の635年に、

 やっと唐へ辿り着いた大秦景教徒たちとは、

 全然無関係だとお解りになる。

 また秦の一族はその後の消息が大量に詳しく記録残っている。

 それは大半が文筆関係だからである。

 これは漢字、漢文を使い慣れた中国人だった証拠で、

 中でも目立つのは仏教の経師で、

 東大寺建築関係の役職にもついている。

 教義が異なると

 同族でも大量虐殺したと『旧約聖書』に書き、

 戦い追放するキリスト教徒では絶対にない。

 それなのに

 「秦の河勝をまっる広隆寺には

  イスラエルの井戸と呼ばれるものが存在している」という。

 正式名称は伊佐良井だが、

 佐伯博士は景教経典のなかに「一賜楽業」の文字を発見、

 これはイサラエと読めるからイスラエルのことだというのである。

 けれども秦氏はキリスト教徒でもイスラエル人でもないのだから、

 それは日本語で読む方が自然である。

 それは、

 水の良さを表現する「石洗い」の井戸というのが、

 ごく自然な名前である。

 石をイサと発音し伊佐と書くのは、

 イサナキの命の例で確認ずみの記名習慣だ。

 《パーリ語辞典
 「パーリ語辞典

 『参考』
 『言語復原史学会:Web』
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