2012年12月7日金曜日

「秦氏景教徒説」と唐代中国での景教布教



 『Yahoo!天気・災害』 

 『出典』言語復原史学会加治木義博大学院講義録36:6頁

 《「秦氏景教徒説」と唐代中国での景教布教
 「「秦氏景教徒説」と唐代中国での景教布教

 そんなものを言語を用いて古代史の謎を解くからと称して、

 私たちの言語復原史学同様の学問だと宣伝されたのでは、

 迷惑も甚だしい。

 無知な人は区別がつかずに、

 言語復原と聞いただけで軽視する人が増えるからである。

 ここに取り上げてお話しした例は、誰でも明瞭に黒白が判るので、

 機会があればご活用を賜わりたいと思って、ご覧いただいた。

 しかし、

 そんなことに気付かない著者は、

 「秦氏景教徒説」の先輩、

 東京文理科大学の佐伯芳郎教授の説を引用して自説を主張するので、

 それを見ていって頂きたい。

 景教とは初期キリスト教のネストリウス派を指す中国名である。

 431年と451年に行なわれた2度の教義会議の論争で、

 「父と子と聖霊は三位一体の神だ」と主張する

 主流のアタナシウス派に、

 「いや、イエスは神であり、人である」と対立して、

 負けて追放された宗派である。

 シリヤに逃れ、イランに移り、

 シルクロードを通ってインド・中国まで布教した記録が残っている。

 中国には「大秦景教流行中国稗」という遺物があり、

 唐代の635年に景教が伝来し、

 3年後には教会堂が建てられたと書かれている。

 この大秦は当時の中国でのローマの呼び名だから、

 秦氏が大秦でもローマ人しか意味しない。

 景教なら景はキーで

 キリストのキリであるが、

 秦氏一族は景教を示す何物ももってはいない。

 『特定非営利活動法人森を守る紙の会: NGO-SFP』事務局長:金原政敏

 《パーリ語辞典
 「パーリ語辞典

 『参考』
 『言語復原史学会:Web』
 『言語復原史学会:画像』 
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