ブログのタイトル「大学院講義歴史(創世紀)」は、 日本は平成から西暦2019年に元号が令和に御代代わりしました。 また20世紀も20年前に終わりました。 21世紀は日本にとっても私にとっても「黄金の世紀」です。 「黄金の世紀」に向ってそれぞれが邁進しましょう。 第二次世界大戦(日本にとっては大東亜戦争)が終了して75年目を迎えました。 更に2018年は明治維新からは150年になります。 この間の19世紀20世紀の日本の諸外国との政治外交の歴史は 事により未だ不透明な霧に覆われたままであります。 現在、日・中・韓で歴史認識が問題になっていますが それぞれの当時国が真実の歴史は何であるかの認識にたって 真剣に物事を考え、発言しないと言うだけでは問題の解決にはならない。 令和2年4月吉日
2012年12月6日木曜日
ウヅマサは秦(はた)とは無関係な形容詞「号」
『Yahoo!天気・災害』
『出典』言語復原史学会・加治木義博:大学院講義録36:5頁
《ウヅマサは秦(はた)とは無関係な形容詞「号」》
「ウヅマサは秦(はた)とは無関係な形容詞「号」」
『新撰姓氏録』の「左京諸藩・太(うづ)秦の公宿弥」の条と、
「右京諸藩・秦の忌寸」の条と、
「山城諸藩・秦の忌寸」の条などに、こう書いてある。
「秦の公・酒は功満王の三世孫(または弓月の君の孫・普洞王=浦東君の男=子息)だ。
雄略天皇の御代、普洞王のとき秦民が劫略に遇い、
今はその十分の一も現存しない状態なので、秦の公・酒は天皇に、
実状を点検して召し集めて戴きたいと請うた。
天皇は聴き入れて、小子部(チイサコベ)の雷(イカツチ)に、
大隅阿多隼人らを率いて捜査し、
集めさせた結果、
秦氏の九十二部、一万八千六百七十人を回収して、酒に賜わった。
酒はその人々に養蚕をさせ絹織物を織らせて、朝廷に運び、
丘のようにうづ高く積み上げたので、
天皇はことのほか酒を御寵愛になり、
禹都万佐(ウツマサ)という号を賜わった。
そのため酒は一層秦の民たちを督励して、
長谷朝倉の宮の皇居のそばに八丈蔵を増築し貢ぎ物を納めた。
これが大蔵の初めで、酒が初代の大蔵大臣を勤めたのである」
と複数の記録が残っている。
ウズマサは大秦や太秦という名詞とも、
文字とも何の関係もない全く別の形容詞に過ぎない。
それを『日本書紀』の記事すら知らずにいて、
古代ローマの中国名である大秦に結び付けるのは、
誰が考えても許されることではない。
《パーリ語辞典》
「パーリ語辞典」
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