2012年12月6日木曜日

ウヅマサは秦(はた)とは無関係な形容詞「号」



 『Yahoo!天気・災害』 

 『出典』言語復原史学会加治木義博大学院講義録36:5頁

 《ウヅマサは秦(はた)とは無関係な形容詞「号」
 「ウヅマサは秦(はた)とは無関係な形容詞「号」

 『新撰姓氏録』の「左京諸藩・太(うづ)秦の公宿弥」の条と、

 「右京諸藩・秦の忌寸」の条と、

 「山城諸藩・秦の忌寸」の条などに、こう書いてある。

 「秦の公・酒は功満王の三世孫(または弓月の君の孫・普洞王=浦東君の男=子息)だ。

  雄略天皇の御代、普洞王のとき秦民が劫略に遇い、

  今はその十分の一も現存しない状態なので、秦の公・酒は天皇に、

  実状を点検して召し集めて戴きたいと請うた。

  天皇は聴き入れて、小子部(チイサコベ)の雷(イカツチ)に、

  大隅阿多隼人らを率いて捜査し、

  集めさせた結果、

  秦氏の九十二部、一万八千六百七十人を回収して、酒に賜わった。

  酒はその人々に養蚕をさせ絹織物を織らせて、朝廷に運び、

  丘のようにうづ高く積み上げたので、

  天皇はことのほか酒を御寵愛になり、

  禹都万佐(ウツマサ)という号を賜わった。

  そのため酒は一層秦の民たちを督励して、

  長谷朝倉の宮の皇居のそばに八丈蔵を増築し貢ぎ物を納めた。

  これが大蔵の初めで、酒が初代の大蔵大臣を勤めたのである」

 と複数の記録が残っている。

 ウズマサは大秦や太秦という名詞とも、

 文字とも何の関係もない全く別の形容詞に過ぎない。

 それを『日本書紀』の記事すら知らずにいて、

 古代ローマの中国名である大秦に結び付けるのは、

 誰が考えても許されることではない。

 《パーリ語辞典
 「パーリ語辞典

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