ブログのタイトル「大学院講義歴史(創世紀)」は、 日本は平成から西暦2019年に元号が令和に御代代わりしました。 また20世紀も20年前に終わりました。 21世紀は日本にとっても私にとっても「黄金の世紀」です。 「黄金の世紀」に向ってそれぞれが邁進しましょう。 第二次世界大戦(日本にとっては大東亜戦争)が終了して75年目を迎えました。 更に2018年は明治維新からは150年になります。 この間の19世紀20世紀の日本の諸外国との政治外交の歴史は 事により未だ不透明な霧に覆われたままであります。 現在、日・中・韓で歴史認識が問題になっていますが それぞれの当時国が真実の歴史は何であるかの認識にたって 真剣に物事を考え、発言しないと言うだけでは問題の解決にはならない。 令和2年4月吉日
2012年3月23日金曜日
八咫烏まで登場する歴山大王東征
『出典』言語復原史学会・加治木義博:大学院講義録26:27頁
《八咫烏まで登場する歴山大王東征》
《八咫烏まで登場する歴山大王東征》
こう解ると、「神武東征」も、複数の史実と一致していて、やはり同じ機能をもっている。
それはアレクサンドロスの東征にまで合い、どちらもミケヌから出発したことになっている。
大王は若死にした点がちがうが、
ペルシャ皇帝から、インドのマカダ王に至るま、
次々に長髄彦たちを破って、即位してその皇位につき君臨した。
大王は、ペルシャ皇帝を攻めるために、
はるばる南へ迂回してエジプトのシバの神殿に参詣して勝利を祈ったが、
その途中で大砂嵐に遭い、全滅の危機にさらされた時、
一羽のカラスが現われて道案内したので危機を脱した。
神武天皇が南へ迂回して熊野に詣で、
八咫烏の案内に救われた話まで一致しているのである。
この一致は、畏友・岡本健一教授らの研究によって、
まだまだ大量の共通点が見つかっている。
古代の我が国にギリシャ文化が花咲いたことは、
どこから見ても疑いようのない事実なのである。
もちろんそれを、文化だけを誰かがもってきた借用文化で、
もってきたのはギリシャ人とは限らないという考え方もなくはない。
「画」八咫烏
『参考』
『言語復原史学会:Web』
『言語復原史学会:画像』
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