ブログのタイトル「大学院講義歴史(創世紀)」は、 日本は平成から西暦2019年に元号が令和に御代代わりしました。 また20世紀も20年前に終わりました。 21世紀は日本にとっても私にとっても「黄金の世紀」です。 「黄金の世紀」に向ってそれぞれが邁進しましょう。 第二次世界大戦(日本にとっては大東亜戦争)が終了して75年目を迎えました。 更に2018年は明治維新からは150年になります。 この間の19世紀20世紀の日本の諸外国との政治外交の歴史は 事により未だ不透明な霧に覆われたままであります。 現在、日・中・韓で歴史認識が問題になっていますが それぞれの当時国が真実の歴史は何であるかの認識にたって 真剣に物事を考え、発言しないと言うだけでは問題の解決にはならない。 令和2年4月吉日
2011年12月16日金曜日
『記・紀』に本当の神話があるか?
『出典』言語復原史学会・加治木義博:大学院講義録23:18頁
《『記・紀』に本当の神話があるか?》
《『記・紀』に本当の神話があるか?》
過去に『日本神話』と呼ばれたものは何だったのであろう?。
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A 天地初発の神・天之御中主神は、旦波・比古多多須・美知能宇斯之王=
丹波・道主王=道の大(ウ)人(シ)(垂仁天皇の皇后たちの父)=
ビチュヌウ神(インドの最高神)の名を名乗る。
垂仁天皇が<高句麗山上王・位宮>として、魏の大軍と戦って敗れたとき、
道の大人(ウシ)が海軍を率いて位宮を救い、無事、琉球へ逃がした。
これが寓話化されたものが浦島太郎で、その亀に助けられて、
浦島は竜宮=琉球へ行き、乙姫と結婚する。
位宮は道の大人の娘たちを皇后と妃にする。
皇后・<日葉酢>媛は<弥馬升>を<ビバス>と発音したものへの当て字。
崇神天皇皇后・<御間城>姫も<弥馬升>を<ミマジョウ>と読んだものへの当て字。
その夫である<御真木>入彦(崇神天皇)も<御間城>を<ミマキ>と読んだもので同じ名乗り。
真意は仏教教義の名の<ミーマンサー>で、倭国連邦の副首相、宗務大臣といった最高権力者。
B <伊弊諾尊>・<伊弉冉尊>は世襲の名乗りで、卑弥呼時代は<伊声耆>が実在。
履中天皇もその内の1人。
<黒媛皇后>が<伊弉冉尊>。
天皇と別れて黄泉(紀州と和泉)に行ったことも<伊弊諾>寓話と同じで、
それにギリシャのオルベウスを信用して表現、話が重なりあう。
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