ブログのタイトル「大学院講義歴史(創世紀)」は、 日本は平成から西暦2019年に元号が令和に御代代わりしました。 また20世紀も20年前に終わりました。 21世紀は日本にとっても私にとっても「黄金の世紀」です。 「黄金の世紀」に向ってそれぞれが邁進しましょう。 第二次世界大戦(日本にとっては大東亜戦争)が終了して75年目を迎えました。 更に2018年は明治維新からは150年になります。 この間の19世紀20世紀の日本の諸外国との政治外交の歴史は 事により未だ不透明な霧に覆われたままであります。 現在、日・中・韓で歴史認識が問題になっていますが それぞれの当時国が真実の歴史は何であるかの認識にたって 真剣に物事を考え、発言しないと言うだけでは問題の解決にはならない。 令和2年4月吉日
2011年12月3日土曜日
深刻な思想的理由が見えてきた『古事記』誕生の動機
『出典』言語復原史学会・加治木義博:大学院講義録23:5頁
《深刻な思想的理由が見えてきた『古事記』誕生の動機》
これを、『古事記』が引用したのはこの部分だけで、
他は別だという考え方ができるように思う人もある。
しかし、すでに見たように天皇の配列が、
『日本書紀』『古事記』ともに、全く同一である。
ソナカ=仲哀天皇が、史実とは違った位置に挿入されているのに、
それも同一ということは、
『記・紀』のどちらかが、他方を複写しない限り、絶対にありえない。
ではどちらが、後から写したのか?。
その答がこの磤馭盧(インギョラ)と淤能碁呂が決め手になって確定した、
「『古事記』は『日本書紀』を複写したものだ」という定義を、さらに強く支える
「動かぬ決め手」なのである。
これでおわかりのように『古事記』が先か?
『日本書紀』が先か?という問題は、
本当は「どちらがどちらを写したか?」という問題だったのである。
どちらが撰上時期が早かったか?といった、
スポーツの勝敗のような単なる時間の前後をいう浅薄な問題ではない。
だからこれまでは考えられたこともない問題、「『古事記』はなぜ?
『日本書紀』と同じ歴史を、内容を変えて作り直す必要があったのか?
という深刻な思想的理由を新たに探求し直されなければならないのが、
この定義が要求する次の重要課題なのである。
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