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創世紀―牛角と祝祭・その民族系譜―
著述者:歴史学講座「創世」 小嶋 秋彦
執筆時期:1999~2000年
牛角と祝祭・その民族系譜:574頁
第十章 天毒とセリカ
韓と月支国(3)
少昊はまた少皞(しょうこう)とも表記されるが、
これは太皞氏である包儀(伏儀)氏の法を修めたので少昊氏という。
彼の母は嫘祖といい、
第九章で述べたように四川省の古代の国
蜀の西方西陵氏の女で、
「嫘祖開蚕」で知られる養蚕(山繭)を始めたとされる伝説の神母で、
西王母の祖型である。
しかも嫘祖は成都の西北の地名阿埧に遺されているように
阿泥族(和人・倭族)の母系系譜の祖と考えられ、
黄帝(軒轅)を父系系譜を旨とする夷族(彝族)との合成である
和夷の子孫が少昊氏である。
彼はまた青陽氏と称されたが、
この青陽が夏禹が定めたとされる九州の一州「青州」の
祖語とみられる。
青州は山東省の中部、東部地方をいったものであるが、
少昊氏はその州内の曲阜に都を置いたといわれる。
彼の陵(少昊陵)は曲阜の東北の東北雲陽にあるという。
またその居住した邑を窮桑といい、
そこで帝位に登ったといわれる。
その名に「桑」が付されていることは
嫘祖に連なる倭族の特技養蚕技術を
継承しているものであろう。
曲阜は漢時代に東夷の一つ
奄(えん)夷と呼ばれたところである。
奄(えん) yen は「禹貢」青洲で記述された
「檿(えん)絲」の檿 yen (山桑)と同訓である。
三国史記は新羅、加耶は
その少昊氏の後裔であるというのである。
つまるところ
倭族の系譜であることを伝承しているのである。
後漢書韓伝は
「馬韓人は、耕作や養蚕」の知識があり」と
記述するところであり、
倭族が自分たちの里郷を稲作(耕作)と養蚕により形成し、
韓へと成長していったものと考えられる。
『参考』
前人未到の道を行く - 邪馬台国・奇跡の解法 - Gooブログ
古代史獺祭
ARPACHIYAH 1976
高床式神殿、牛頭、空白の布幕、幕と婦人、マルタ十字紋等
( アルパチア遺跡出土の碗形土器に描かれている)
牛頭を象った神社建築の棟飾部
Tell Arpachiyah (Iraq)
ハラフ期の土器について
アルパチア遺跡出土の碗形土器
ハブール川
ハブール川(ハブル川、カブル川、Khabur、Habor
、Habur、Chabur、アラム語:ܚܒܘܪ, クルド語:Çemê Xabûr, アラビア語:نهر الخابور Bahr al-Chabur
ARPACHIYAH 1976
高床式神殿
牛頭を象った神社建築の棟飾部
神社のルーツ
鳥居のルーツ
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