2014年4月9日水曜日

韓と月支国(2)


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 創世紀―牛角と祝祭・その民族系譜―

 著述者:歴史学講座「創世」 小嶋 秋彦

 執筆時期:1999~2000年

 牛角と祝祭・その民族系譜:573頁

 第十章 天毒とセリカ

 韓と月支国(2)

  朝鮮の李朝期に編纂された

 「三国史記」列伝第一「金庾信」に

 「羅人は、自分たちを少昊金天氏の後裔であるといい、

  金氏を姓としている。

  庾信碑によれば、軒轅の後裔の少昊の子孫であるともいう。

  そこで南伽耶の始祖首露は、新羅と同姓である」と述べる。

 金庾信はこの列伝で王都(慶州)の人であるという。

 「庾信碑」の所在は不明である。

  少昊とは中国の「五帝」のうち、

  黄帝(軒轅)の二人の子の一人で玄囂(げんごう)のことである。

  史記「五帝本紀」は「嫘祖は黄帝の王妃為り、二子を生む。

  其の後、皆天下を有(たも)つ。

  其の一を玄囂と曰ふ、

  是を青陽と為す。
  
  青陽は降りては江水に居る」とある。

 《Key Word》
 「金庾信」
 金庾信

 史記「五帝本紀」

 《参考》

 『五帝本紀』

 黄帝は少典の子で、姓は公孫、名は軒轅。

 当時は神農氏の時代であったが、諸侯は互いに争っており、

 神農氏はこれを征伐できなかった。

 しかし、軒轅がこれを征伐し諸侯は軒轅に従った。

 さらに、炎帝の子孫と争い、

 これに勝利し諸侯は軒轅を天子とした。

 これが黄帝である。

 皇帝は天下に従わないものを征伐し、平定すると立ち去った。

 そうして中国を治めた。

 帝センギョクは、高陽といい、黄帝の孫である。

 黄帝には25の子がおり、

 次子の昌意の子、高陽が黄帝が崩じると帝になった。

 これが帝センギョクである。

 センギョクは、鬼神を敬事する心を持ち、

 尊卑を明確にして徳をもって治め、

 清潔な誠心で祭祀を行い、諸侯を従えた。

 帝コクは、高辛といい、黄帝の曾孫である。

 黄帝の長子の孫である。

 帝コクは天の義に従い、民の急務を知り、

 仁恵にあふれており、威信があった。

 暦を制定して生活の秩序を立て、鬼神を明らかにして敬事した。

 帝コクが崩じると、子の摯が即位したが、徳が弱く功がなかった。

 摯が崩じると放勲が立った。

 帝堯は、放勲といい、帝コクの子である。

 仁徳は万物に行き渡り、知は神のごとしであった。

 また、質素な日常で九族を親しみ、

 人々の才能に応じて官職を与えて規制した。

 義氏、和氏に命じて天の理に従って日月星を数えさせて、

 四時の運行に則り、種まき、収穫の時を人民に授けた。

 義仲を郁夷に移住させ、日の出の時刻を計って春耕の次第をたてさせた。

 義氏の三子、義叔を南交に移住させ、夏の農耕を定めさせた。

 義叔は、昼の最も長い日を夏至と定めた。

 和氏の二子、和仲を西土に移住させ、秋の収穫のてだてを導いた。

 和仲は、昼と夜の長さの等しい日を秋分と定めた。

 和氏の三子、和叔を北方に移住させた。

 和叔は、昼が最も短い日を冬至を定めた。

 1年を366日に定め、3年に一回閏月をおいて四時を正した。

 帝堯は、即位して70年たって舜を見出し、

 その20年後年老いて引退し、舜に天子の政を行わせ、

 さらに28年後崩じた。

 虞舜は、名を重華という。

 帝センギョクの父、昌意から7世である。

 重華の母は早くに死に、父の瞽叟は後妻を娶り、

 その子象を愛し、常に舜を殺そうとしていた。

 30の時に帝堯に見出された。

 帝堯は、女2人を舜に娶わせてた。

 20年して舜が天子となり、帝堯の跡を継いだ。

 帝堯の臣、禹、皋陶、契、后稷、伯夷、キ竜、垂、益、彭祖らが

 挙用されていたが、分担する職務が無かったので、

 舜は彼らを12牧に命じた。

 禹は、司空に任じられ、治水を行った。

 弃は后稷に任じられ、農事を司った。

 契は司徒に任じられ、5常の教えを広めた。

 皋陶は蛮夷が侵入し逆臣がいるため、士に任じられ、刑罰を司った。

 垂は百工を司る共工に任じられた。

 益は山林川沢を司る虞に任じられた。

 そして、朱虎、熊羆を副官にした。

 伯夷は秩宗に任じられた。

 キは典楽に任じられた。

 竜は納言に任じられた。

 みなそれぞれの官職で功業を成就した。

 彼らの中では禹が最も功績を上げた。

 虞舜は、帝位に即いて39年で崩じた。

 虞舜は、子の商均が不肖の子であったので、

 禹に天意を授けたが、禹は辞退し、商均に譲った。

 しかし、諸侯は禹に帰したので、禹は天子になった。

 『参考』

 前人未到の道を行く - 邪馬台国・奇跡の解法 - Gooブログ
 古代史獺祭

 ARPACHIYAH 1976
 高床式神殿、牛頭、空白の布幕、幕と婦人、マルタ十字紋等
 ( アルパチア遺跡出土の碗形土器に描かれている) 
  
 牛頭を象った神社建築の棟飾部



 Tell Arpachiyah (Iraq) 
 Tell Arpachiyah (Iraq)     
 ハラフ期の土器について
 アルパチア遺跡出土の碗形土器

 ハブール川
 ハブール川(ハブル川、カブル川、Khabur、Habor
、Habur、Chabur、アラム語:ܚܒܘܪ, クルド語:Çemê Xabûr, アラビア語:نهر الخابور Bahr al-Chabur
 ARPACHIYAH 1976
 高床式神殿
 牛頭を象った神社建築の棟飾部
 神社のルーツ
 鳥居のルーツ 
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