2014年4月22日火曜日

セレスと青龍(6)


 『Yahoo!天気・災害』
 Matのジオログ

 創世紀―牛角と祝祭・その民族系譜―

 著述者:歴史学講座「創世」 小嶋 秋彦

 執筆時期:1999~2000年

 牛角と祝祭・その民族系譜:588頁

 第十章 天毒とセリカ

 セレスと青龍(6)

  そのほとんどは紀元後の史料となるが、

 タクラマカン砂漠の周辺からソグディアナの一帯で

 養蚕が行われた記録と実際の絹製品が遺物として残されている。

 その大生産地が

 現在ホータン(和田)というタクラマカン砂漠の西南の町である。

 第六章で既に登場させたクシャン王朝の王家の発祥地である。

 クシャン(貴霜)名の語幹について

 繭を表わす kosa があることを指摘した。

 その市名 kustana,kothan などの祖語も kosa(繭) にあると

 言ってよいと考えられる。

 漢の時代の「蚕種西遷」伝承や

 現在においても絹の生産が盛んであることをみると、

 桑の生育に適した環境といえよう。

 中央アジアからトルコにかけて繭、絹は現在でも

 kosa と呼び慣らされている。

 西王母の故郷としてカシミールまで考えられているのは、

 青龍である蚕が西方にも

 広く飼われるようになったことにも依ると思われる。

 《参考》

 タクラマカン砂漠

 ソグディアナ

 ホータン(和田)
 
 クシャン王朝
 仏像の起源

 カシミール

 玄奘に思いを馳せたスタイン:ダンダン・ウィリク

 古代ローマでは、

 中国のことを「セリカ(絹の国)」とよんだように、

 中国の絹織物は、古くから陸路を経て遠く運ばれた。

 シリアのパルミラから出土した

 漢代の錦・綾・綺(にしき あや あやぎぬ)など、

 交易路の各地点より出土した

 漢代から唐代にかけての多量の絹織物は、それを伝えている。

 しかし、中国は製品の絹織物を輸出しても、

 蚕種(さんしゅ)(蚕の卵)の国外への持ち出しはかたく禁じていた。

 そのため、こうした地域には、

 蚕種の西方への伝播にまつわるいくつかの伝説が残されている。

 タリム盆地のホータンにある

 ダンダーンウィリク遺跡から発見された板絵には,

 この地に嫁ぐ王女が蚕種を帽子の中に隠して伝えたという

 蚕種西遷説話が描かれている。

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 古代史獺祭

 ARPACHIYAH 1976
 高床式神殿、牛頭、空白の布幕、幕と婦人、マルタ十字紋等
 (アルパチア遺跡出土の碗形土器に描かれている) 

  
 牛頭を象った神社建築の棟飾部]


 Tell Arpachiyah (Iraq) 
 Tell Arpachiyah (Iraq)     
 ハラフ期の土器について
 アルパチア遺跡出土の碗形土器

 ハブール川
 ハブール川(ハブル川、カブル川、Khabur、Habor
、Habur、Chabur、アラム語:ܚܒܘܪ, クルド語:Çemê Xabûr, アラビア語:نهر الخابور Bahr al-Chabur
 ARPACHIYAH 1976
 高床式神殿
 牛頭を象った神社建築の棟飾部
 神社のルーツ
 鳥居のルーツ 

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