2014年4月15日火曜日

瓢公と月城(1)


 『Yahoo!天気・災害』
 Matのジオログ

 創世紀―牛角と祝祭・その民族系譜―

 著述者:歴史学講座「創世」 小嶋 秋彦

 執筆時期:1999~2000年

 牛角と祝祭・その民族系譜:579頁

 第十章 天毒とセリカ

 瓢公と月城(1)

  三国史記新羅本紀」の始祖赫居世紀に瓢公が登場する。

 紀は

 「瓢公はその出身の氏族名を明らかにしていない。

 彼はもともと倭人で、昔、瓢(ひさご)を腰にさげ、

 海を渡って来た。」

 そこで瓢公と称した」とある。

 彼は始祖の38年(紀元前20年とされる)に

 馬韓に派遣された新羅の上層に属する人物とみられるが、

 その職責は不明である。

 しかし、

 この倭人である実力者は第4代脱解尼師今紀にも

 登場する。

 それによると、

 「脱解は昔多婆那国で生まれた。

 その国は倭国の一千里のところにある」と記し、

 彼が外来者であることを明かす。

 そして続けて

 「昔、その国王が女王の王女を娶って妻とし、

 妊娠して7年経って大卵を生んだ」と卵生伝説を述べる。

 びっくりした多婆那の王は

 この大卵を絹の布で包んで宝物とともに箱の中に入れ、

 海に浮かべ、その行き先をまかせたとされる。

 そして、辰韓国の阿珍浦の海岸に流れ着いて

 老婆によって拾われ、開けられた箱からは少年が現れ、

 老婆が引き取って養ったところ、

 壮年になるに従い身長9尺ともなり、

 その風格が神のように秀でて明朗で

 知識が人々に抜き出るに至ったという。

 因みに阿珍浦は

 サンスクリット語で卵を表わす adhi の音写である。

 ここでは箱となっているが、

 この伝承は

 メソポタミア、アッカドの始祖サルゴン王や

 旧約聖書のモーセ伝説にあった籠に入れられ

 河に流されたことと共通する。

 『参考』

 前人未到の道を行く - 邪馬台国・奇跡の解法 - Gooブログ
 古代史獺祭

 ARPACHIYAH 1976
 高床式神殿、牛頭、空白の布幕、幕と婦人、マルタ十字紋等
 ( アルパチア遺跡出土の碗形土器に描かれている) 

  
 牛頭を象った神社建築の棟飾部



 Tell Arpachiyah (Iraq) 
 Tell Arpachiyah (Iraq)     
 ハラフ期の土器について
 アルパチア遺跡出土の碗形土器

 ハブール川
 ハブール川(ハブル川、カブル川、Khabur、Habor
、Habur、Chabur、アラム語:ܚܒܘܪ, クルド語:Çemê Xabûr, アラビア語:نهر الخابور Bahr al-Chabur
 ARPACHIYAH 1976
 高床式神殿
 牛頭を象った神社建築の棟飾部
 神社のルーツ
 鳥居のルーツ 

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