2011年5月6日金曜日

現行の「天皇家5世紀建国説」を否定する『干支圏』

『出典』言語復原史学会・加治木義博:大学院講義録18:13頁

私たちは今、『干支圏』がウラル地方にも実在していた遺物地名群を発見した。

しかしその『干支圏』は卑弥呼政権が用いていたばかりか、

紀元前14世紀の殷時代に、

逆に我が国から中国に伝えた文化だった証拠もまた、

疑いの余地なく大量に揃って見つかった。

ところか騎馬民族説だと『干支圏』は、

5世紀に始めて我が国に持ち込まれたことになり、

それに基づいて「現天皇家は5世紀からだ」と、

応神天皇以前を抹殺してしまっている

今の『文部科学省認定・国史定説』は根底から崩壊してしまう。

どちらが正しいか?は、

果たしてシベリヤの地名が本当に『干支圏』のものかどうか?、

徹底して調査してみないと、この段階では断定できないが。

事が事だ。

いい加減にしてはおけない。

もう1度北海道からよく検討してみよう。

そこには「寅」に当る「エン」の遺物として「遠」のつく地名があった。

すると古くアイヌの人たちが蝦夷と呼ばれていた理由もわかる。

「夷」は東方人をさす蔑称だから人種名には関係ない。

意味は「夷」の方にある。

蝦夷は「エゾ・エミシ」と読むから、

南九州語の発音なら「エの人」で「エン人」だし、

「エミシ」は「エン衆(しー)」である。

周知の蝦夷という名詞の実体は、

干支の「寅」の「エン」だったのだ。

北北東を意味する「丑」は、どうしても樺太か沿海州になければならない。

干支圏
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