『出典』言語復原史学会・加治木義博:大学院講義録18:11頁
殷人は間違いなく、常陸の稲敷を聖地=故郷として崇める縄文日本人だった。
その『干支圏』は、その周辺にも存在していなければならないが、
果たして3000年後の現在まで、その痕跡が残っているであろうか?。
東は卯で、これはりとボウと読む。
するとウには羽(う)前・羽後という国名が合う。
またボウには房州という国名が近くにある。
東南東は辰でこれはタツとシンである。
館林・館山などがタツ、
信州・新町(群馬県)・神奈川(シンナセン)などがシンに合う。
南南東は巳で、これはミとシ。
三島はミ・シ国(ま)。
これを三浦半島と三保がぴったりの位置に挟んでいる。
シも静岡(シ津岡)・島田が合理的な位置に並んでいる。
これらは少しずつ拡大移動したことによって複数に殖えた痕跡だとみるべきである。
当然、ミは水戸へも移る。
東北東は寅で、これはトラとエン。
トラは登呂と取手がある。
豊浦も万葉読みだとトラで、
北海道に飛ぶと、そこには遠別(えんべつ)・遠軽(えんかる)というエンも
あるから無関係ではないが、
エンが遠のの遺物なら遠野(岩手県)・
遠苅田(とおがった)(宮城県)もまたこれに合う。
北が北海道まで含むとすれは、
西が中国の華北平原に伸びても不思議はないが、
それなら広大な日本海や黄海を湖水のように抱えた、
壮大な帝国が実在していたことになる。
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