2011年5月27日金曜日

ギリシャ人到来はアレクサンドロス東征以後

『出典』言語復原史学会・加治木義博:大学院講義録19:5頁

アレクサンドロスのその行動は、

深い「心の傷」が爆発したものだった。

ご記憶と思うが、

父のピリプ(フィリップ)は小国劣等感患者で、

領土拡大にのめりこみ、外征に明け暮れた軍人王だった。

母のオリンピアはピューティアで、愛と平和を説く女性であり、

残酷を誇る夫を許せなかった。

その不和がついに昂じて、母は父を暗殺させてしまった。

事情はどうであれアレクサンドロスには。

癒えることのない心の傷を負わせた人間極限の悲劇だった。

彼は、日夜接していた母の、

父の非行を憎み悲しんでいたその悲願をかなえようとして、

しかも父の残したDNAの命ずるままに、

母の平和世界実現の悲願を、

父がとった忌むべき手段「征服」によって果たそうとした。

戦争は国が分立していることから起こる。

世界から国境をなくせば戦争はなくなるという考えに、

凝り固まってしまったのだ。

「母の理想世界を実現するために、父が残した軍隊と戦略を使う」という、

全く矛盾した2つのDNAが合成した唯一の進路が、

彼の東征の本当の原動力だったのである。

神武天皇が唱えた「八紘一宇(はっこういちう)」、

「八紘(天の下全域)を覆って=(天を尾根にした)、

一宇(一軒の家)にしよう!」というのは、

このアレクサンドロスの思想そのものである。

だからギリシャ人が来た時期は、

間違いなくアレクサンドロス東征以後なのである。

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