『出典』言語復原史学会・加治木義博:大学院講義録18:9頁
こうして高句麗は「ネの国」と呼ばれて、
間違いなく卑弥呼以前に領有されていたことが証明されている。
このほうが、五彩圏よりもさらに古い可能性がある。
だとするとそれらの干支は中国の文化のように見えるから、
ギリシャ文化が入ってくる前には中国文化が入って来ていたのであろうか?。
干支は、すでに殷の時代にみられる文化である。
歴代皇帝は自分の生れ年の干支を知っていただけでなく、
神にを酒を捧げる器(うつわ)「觥」(こう)を
その干支に象って使う伝統をもっている。
加治木義博はその1つ『兕觥(じこう)』を所蔵しているが、
それは酒池肉林をやって周に滅ぼされた
最後の皇帝「紂・チュウ」のもので、チュウとは丑のこと。
丑年生まれだからチュウと呼ばれた。
だから加治木義博の兕觥も牛の形をしているが、
神秘化して一本角にしているから「兕」と呼ばれているが、
彼が丑年生まれだった証拠である。
紂の字は、彼を倒した周の学者がわざと、
丑でなく、
それと同じ発音の「寸たらずの糸=役立たず」という意味の紂の字を使ったのである。
その殷の首都は、茨城県稲敷郡と同じ緯度の北緯36度線上にあり、
そこをヒタチ=日立=太陽の昇るところ=出発点=父祖が後にした故郷として崇拝している。
とすればインとは南九州語で「イン=去る=申(サル)」で、
太陽が去る(沈む)西を意味していたことがわかる。
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