『出典』言語復原史学会・加治木義博:大学院講義録19:9頁
大学院講義録18では、
シベリヤが日本語地名で充満して覆われている事実が、
しっかりご確認戴けた。
同時に、
殷代に東アジア全域に『干支圏』があり、
それが国土の範囲を表現していた史実も、
また九州から北海道に至る各地に、
同じ『干支圏』が実在していた事実もご覧いただいた。
今回はそれをさらに補足するものを挙げた上で、
この発見がどれほど大きな史学の大問題を解くか、
在来の『記・紀』観の誤りをどんなに正すか、指摘してご覧にいれよう。
我が国の考古学界では、産地の限定された石器が、
かなりの遠隔地にまで分布しているのに注目して、
当時、それらを運んだのは、それらの使用者自身ではなく、
それを運んで売り歩いた「商人」がいた証拠だと考え始めている。
しかし彼等がいう商人とは
「物を販売して生計を立てている人々」というだけの意味で、
それがどんな人だったか、まるで知らない。
しかし私たちはその「商人」が文字通り
「商国の国民とおなじ人々=殷人」だったことに、
はっきり気付いている。
というより、
縄文時代から「商行為」をして生活することを知って、
それを大規模に実行していた人々=高度の科学知識をもち地球の大きさを知り、
それを活用して、
稲敷から2200kmきっかりの北緯36度線上に
殷・商の都を置いたほどの知性人たちで、
今の私たちに近い世界観をもち、
平気で遠隔地を往来していた人々だったことを知っている。
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