ブログのタイトル「大学院講義歴史(創世紀)」は、 日本は平成から西暦2019年に元号が令和に御代代わりしました。 また20世紀も20年前に終わりました。 21世紀は日本にとっても私にとっても「黄金の世紀」です。 「黄金の世紀」に向ってそれぞれが邁進しましょう。 第二次世界大戦(日本にとっては大東亜戦争)が終了して75年目を迎えました。 更に2018年は明治維新からは150年になります。 この間の19世紀20世紀の日本の諸外国との政治外交の歴史は 事により未だ不透明な霧に覆われたままであります。 現在、日・中・韓で歴史認識が問題になっていますが それぞれの当時国が真実の歴史は何であるかの認識にたって 真剣に物事を考え、発言しないと言うだけでは問題の解決にはならない。 令和2年4月吉日
2012年10月15日月曜日
シバの女王の国・オマーンの名は何を語るか?
『特定非営利活動法人森を守る紙の会: NGO-SFP』事務局長:金原政敏
『Yahoo!天気・災害』
『出典』言語復原史学会・加治木義博:大学院講義録33:31頁
《シバの女王の国・オマーンの名は何を語るか?》
「シバの女王の国・オマーンの名は何を語るか?」
これで、
卑弥呼も壹與も、
即位が、なぜ?どちらも少女時代だったか?まで判った。
それはウバイド期以来の倭人帝国の、独特の知恵の結晶だったのである。
しかし当時の世界を、
中国から西へエジプト・ローマに至るまで眺めて見ても、
女王国は見当たらない。
ただ1つ聖書に記録されたシバの女王がいるだけである。
シバの名はインドの大神・シバと同じで、
ウバイドの東南、
アラビア半島の突端にあった国である。
そこには今、オマーンという独立国があり、
オマーン湾を隔ててイラン・パキスタンと向き合っている。
インドと共通の名があっても少しも不思議ではないし、
そのオマーンも
沖縄語で読めば馬ン国=馬津国であり、
それは前述したように、
3~4世紀の末盧=松浦・馬韓・百済という重要国名を生んだし、
馬津は馬野=真野=麻野=浅野や、松田・松尾・松平という姓氏を増殖した名詞でもある。
ことに松尾は馬津王が語源で、松尾神社は酒神として尊崇を集め、
その出自が近東にあることを記録している。
なぜならギリシャの酒神・ディオニュッソス(ローマのバッカス)は
中近東が故郷であり、
バッカスの名は日本では、
「酒は人間を馬鹿者にする」という意味をもっているからである。
オマーンという国名は私たちとは縁遠く見えていたと思うが、
そこにシバの女王がいたのは、
倭人との濃い血の繋がりを立証しているのである。
《パーリ語辞典》
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