2012年10月26日金曜日

名が化けていった筋道



 『特定非営利活動法人森を守る紙の会: NGO-SFP』事務局長:金原政敏 
 『Yahoo!天気・災害』 

 『出典』言語復原史学会加治木義博大学院講義録34:19頁

 《名が化けていった筋道
 「名が化けていった筋道

 『記・紀』が別の文字を使っているのは、

 書かれた記録がなかったことを証明している。

 それは「口伝え」で伝承された証拠である。

 『古事記』の序文には、

 天武天皇が稗田阿礼(ひえたあや=ピューテーヤ への当て字)に命じて

 「よみ習わしめ給いき」とある。

 読んで記憶させたのであって、書かせたのではないという証拠である。

 『記・紀』の文は記憶していた物語を語らせて、

 それを聴きながら文字を当てて筆記して、

 初めて書物として残したものである。

 もちろん稗田阿礼も「よみ習った」のだから、

 もとの書き物があったことは間違いないが、

 それは『記・紀』のような完成した書物はなくて、

 メモ程度の木簡でしかあり得ないし、

 また語り部が代々語り継いだ「言葉だけのもの」もあったのである。

 その稗田阿礼が「よみ習った」のは『古事記』だから、

 この名を「ウヒジニ」と発音したのである。

 ところがそれは、

 『日本書紀』に書れている「埿土煮」を「ウヒジニ」と

 読んで記憶していたものだったから、

 筆記者は「宇比地邇」と当て字したのである。

 ところが、

 それは、「恐ろしい」という意味を持ったパーリ語の「ドゥルドハルシャ」に

 「ドゥル=泥、ド=土、ハル=?、シャ=煮」と当て字したものだった。

 この神名の『日本書紀』と『古事記』との違いは、

 これ以外の理由では起こらない。

 《パーリ語辞典
 「パーリ語辞典

 『参考』
 『言語復原史学会:Web』
 『言語復原史学会:画像』 
 『言語復原史学会:画像』

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