ブログのタイトル「大学院講義歴史(創世紀)」は、 日本は平成から西暦2019年に元号が令和に御代代わりしました。 また20世紀も20年前に終わりました。 21世紀は日本にとっても私にとっても「黄金の世紀」です。 「黄金の世紀」に向ってそれぞれが邁進しましょう。 第二次世界大戦(日本にとっては大東亜戦争)が終了して75年目を迎えました。 更に2018年は明治維新からは150年になります。 この間の19世紀20世紀の日本の諸外国との政治外交の歴史は 事により未だ不透明な霧に覆われたままであります。 現在、日・中・韓で歴史認識が問題になっていますが それぞれの当時国が真実の歴史は何であるかの認識にたって 真剣に物事を考え、発言しないと言うだけでは問題の解決にはならない。 令和2年4月吉日
2012年10月26日金曜日
名が化けていった筋道
『特定非営利活動法人森を守る紙の会: NGO-SFP』事務局長:金原政敏
『Yahoo!天気・災害』
『出典』言語復原史学会・加治木義博:大学院講義録34:19頁
《名が化けていった筋道》
「名が化けていった筋道」
『記・紀』が別の文字を使っているのは、
書かれた記録がなかったことを証明している。
それは「口伝え」で伝承された証拠である。
『古事記』の序文には、
天武天皇が稗田阿礼(ひえたあや=ピューテーヤ への当て字)に命じて
「よみ習わしめ給いき」とある。
読んで記憶させたのであって、書かせたのではないという証拠である。
『記・紀』の文は記憶していた物語を語らせて、
それを聴きながら文字を当てて筆記して、
初めて書物として残したものである。
もちろん稗田阿礼も「よみ習った」のだから、
もとの書き物があったことは間違いないが、
それは『記・紀』のような完成した書物はなくて、
メモ程度の木簡でしかあり得ないし、
また語り部が代々語り継いだ「言葉だけのもの」もあったのである。
その稗田阿礼が「よみ習った」のは『古事記』だから、
この名を「ウヒジニ」と発音したのである。
ところがそれは、
『日本書紀』に書れている「埿土煮」を「ウヒジニ」と
読んで記憶していたものだったから、
筆記者は「宇比地邇」と当て字したのである。
ところが、
それは、「恐ろしい」という意味を持ったパーリ語の「ドゥルドハルシャ」に
「ドゥル=泥、ド=土、ハル=?、シャ=煮」と当て字したものだった。
この神名の『日本書紀』と『古事記』との違いは、
これ以外の理由では起こらない。
《パーリ語辞典》
「パーリ語辞典」
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