ブログのタイトル「大学院講義歴史(創世紀)」は、 日本は平成から西暦2019年に元号が令和に御代代わりしました。 また20世紀も20年前に終わりました。 21世紀は日本にとっても私にとっても「黄金の世紀」です。 「黄金の世紀」に向ってそれぞれが邁進しましょう。 第二次世界大戦(日本にとっては大東亜戦争)が終了して75年目を迎えました。 更に2018年は明治維新からは150年になります。 この間の19世紀20世紀の日本の諸外国との政治外交の歴史は 事により未だ不透明な霧に覆われたままであります。 現在、日・中・韓で歴史認識が問題になっていますが それぞれの当時国が真実の歴史は何であるかの認識にたって 真剣に物事を考え、発言しないと言うだけでは問題の解決にはならない。 令和2年4月吉日
2012年10月27日土曜日
『神代巻』は『書紀』が創作して『古事記』が改作
『特定非営利活動法人森を守る紙の会: NGO-SFP』事務局長:金原政敏
『Yahoo!天気・災害』
『出典』言語復原史学会・加治木義博:大学院講義録34:20頁
《『神代巻』は『書紀』が創作して『古事記』が改作》
「『神代巻』は『書紀』が創作して『古事記』が改作」
この確認で判明したことは、
1 稗田阿礼が「読み習った」のは、
2 『日本書紀』に使われた、
3 「文字記録」だったこと。
4 それにはすでに「埿土煮」と当て字してあったこと。
5 稗田阿礼はそれを「ウ・ヒジ・ニ」と記憶していたこと。
6 しかし本当はパーリ語で「ドゥルドハルシャ」と読むように「埿土煮」と書いてあったのだ。
7 埿土煮を「フトニ」と読み損なったのは稗田阿礼ではない。
8 孝霊天皇の名を「フトニ」と書いた人物である。
9 彼はそれが『古事記』の神名の「ウヒジニ」だとは知らない。
10 それは神の名としてではなく、天皇名として書かれていたからだ。
11 彼はその文字が良くないと考えて、綺麗な文字の「太瓊」に書き換えた。
『日本書紀』の天皇たちは皆、好い字を選んで書き換えてあるから、
12 彼は『日本書紀』の筆者の一人である。
13 ところが、悪い字の「埿土煮」が生き残った。それは天皇名ではなく神名としてだ。
14 それを稗田阿礼が「ウヒジニ」と読み損なったのだから、『神代紀』についても、
『日本書紀』の記事の方が、『古事記』より先にあったことが確認できる。
15 ところが『古事記』も『日本書紀』と同じ発音で「賦斗邇・フトニ」と書いている。
16 これで「神代」は『日本書紀』の記事の筆者が創作して、
それを『古事記』が真似て改作したものだと証明できた。
在来は『古事記』の方が先で、天地開闢の神が異なるのも、
『古事記』の方が正しいとする人が多かったが、
17 『古事記』が筆頭に掲げた「天の御中主」は、
『日本書紀』に反発、対抗して書き加えたものだったと、はっきり断定できたのである。
以上で、在来の『記・紀』の「読み方」が間違っていたことが、
よく解りいただけたと思う。
それはパーリ語の存在など、考えもしていない。
それが本書でこれからお話しする。
日本の建国史の真相を、まるで見えなくしていたのである。
「読み方」など、少々間違っていても大したことはない、
思われ勝ちであるが、
私たちの祖国の歴史、
ことに建国史には絶対許されない罪だと言っていい。
この章をながながとお話ししたのはそのためでもある。
あとは簡単に説明しよう。
《パーリ語辞典》
「パーリ語辞典」
『参考』
『言語復原史学会:Web』
『言語復原史学会:画像』
『言語復原史学会:画像』
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