ブログのタイトル「大学院講義歴史(創世紀)」は、 日本は平成から西暦2019年に元号が令和に御代代わりしました。 また20世紀も20年前に終わりました。 21世紀は日本にとっても私にとっても「黄金の世紀」です。 「黄金の世紀」に向ってそれぞれが邁進しましょう。 第二次世界大戦(日本にとっては大東亜戦争)が終了して75年目を迎えました。 更に2018年は明治維新からは150年になります。 この間の19世紀20世紀の日本の諸外国との政治外交の歴史は 事により未だ不透明な霧に覆われたままであります。 現在、日・中・韓で歴史認識が問題になっていますが それぞれの当時国が真実の歴史は何であるかの認識にたって 真剣に物事を考え、発言しないと言うだけでは問題の解決にはならない。 令和2年4月吉日
2012年10月12日金曜日
神道の歴史。ウバイドから神道まで
『特定非営利活動法人森を守る紙の会: NGO-SFP』事務局長:金原政敏
『Yahoo!天気・災害』
『出典』言語復原史学会・加治木義博:大学院講義録33:28頁
《神道の歴史。ウバイドから神道まで》
「神道の歴史。ウバイドから神道まで」
では、『神道』とは何なのか?。
答えは簡単である。
それはウバイドそのものでなければならないから
『倭道(ウワイドウ)』だったのであり、
当て字を換えれば『上(ウワ)道』である。
この「上」の字を「カミ・カン」と読んだ者があり、
それに「神」の字を当てた者があったので『神(カミ)道』になり、
それをまた「シントウ」と読み換えたために、
今『神道(シントウ)』と呼ぶものが出来上ってしまったのである。
この「シン」の名は、新羅王・金春秋だった天智天皇が、
新羅(シンラ)=神国(シンラ)の国号に結びつけて、その支配力を、
より強めようとした名残りだとみると、
その天皇家との結びつきと、
訂正されずに、
そのまま定着した理由が納得できる。
これが単なるミスの重なりの産物だったのなら、
必ず本来の名『倭道』に復元したはずで、
絶大な強権の介入がなければ定着するはずがない。
また、
道をドウでなく「トウ」と清音で発音することも、
その発生が半島語に支配されたこと。
神官や巫女の式服も白衣(シラギ)で新羅伝統の色であり。
巫女の袴が真っ赤なのも列島では見られない半島風であって、
この推理を強く裏付けているが、
韓国の名門『金』家伝来の金春秋=天智天皇像
(私(加治木義博)著『虚構の大化改新と日本政権誕生』p245)は、
明かに神官風であって僧侶や仏像風ではない。
しかし今、慶州へ行くと寺院があって神社はない。
これらもまた神道の実体を物がっているのである。
《パーリ語辞典》
「パーリ語辞典」
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『言語復原史学会:画像』
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