ブログのタイトル「大学院講義歴史(創世紀)」は、 日本は平成から西暦2019年に元号が令和に御代代わりしました。 また20世紀も20年前に終わりました。 21世紀は日本にとっても私にとっても「黄金の世紀」です。 「黄金の世紀」に向ってそれぞれが邁進しましょう。 第二次世界大戦(日本にとっては大東亜戦争)が終了して75年目を迎えました。 更に2018年は明治維新からは150年になります。 この間の19世紀20世紀の日本の諸外国との政治外交の歴史は 事により未だ不透明な霧に覆われたままであります。 現在、日・中・韓で歴史認識が問題になっていますが それぞれの当時国が真実の歴史は何であるかの認識にたって 真剣に物事を考え、発言しないと言うだけでは問題の解決にはならない。 令和2年4月吉日
2012年10月10日水曜日
移住コースを鮮明に記録している大量のツルカルニン
『特定非営利活動法人森を守る紙の会: NGO-SFP』事務局長:金原政敏
『Yahoo!天気・災害』
『出典』言語復原史学会・加治木義博:大学院講義録33:26頁
《移住コースを鮮明に記録している大量のツルカルニン》
「移住コースを鮮明に記録している大量のツルカルニン」
皇帝を神とする神格化思想は、
こうしてアレクサンドロスが継承したペルシャ皇帝のものだったのであり、
それはウバイド以来のスメル文化の遺産だったのである。
我が国に現われたツルカルニンは、それを受け継いだ仲哀天皇だった。
『記・紀』はそれを知らずに、または天智天皇が嫌って、
卑弥呼を天照大神とし、
夫・仲哀天皇は別人に見えるように小細工をしてしまった。
だが私たちの「言語復原史学」はそれらに騙されないで、
角我阿羅斯等とはツルカルニンであり
アレクサンドロス以前に遡るウバイド~スメルの神号で、
真の大王のみが名乗ることのできた
『称号』だったことを確認したのである。
スメルの神殿には牛頭が祭られていた。
いま我が国の神社には、
それを象徴化した千木を戴く神殿が建てられ、
それをさらに変形した鳥居が建てられている。
それらがすべて太古のウバイドの信仰以来の
ツルカルニンを継承した象徴建築であり、
スメル文明の遺物に描かれた主神が被る、
角をもった神冠と同じものだと、
脳に銘記する必要があるのである。
その神殿と角飾りのバリエーションは、
インドから我が国に至る間に、
様々な姿で伝承し、
ブータンからタイの山地居住民の、鳥居として現存しているのを、
私(加治木義博)は確認し続けて来た。
疑う余地なく、
それらはウバイドから倭人までのコースを、鮮明に記録していたのである。
《パーリ語辞典》
「パーリ語辞典」
『参考』
『言語復原史学会:Web』
『言語復原史学会:画像』
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