ブログのタイトル「大学院講義歴史(創世紀)」は、 日本は平成から西暦2019年に元号が令和に御代代わりしました。 また20世紀も20年前に終わりました。 21世紀は日本にとっても私にとっても「黄金の世紀」です。 「黄金の世紀」に向ってそれぞれが邁進しましょう。 第二次世界大戦(日本にとっては大東亜戦争)が終了して75年目を迎えました。 更に2018年は明治維新からは150年になります。 この間の19世紀20世紀の日本の諸外国との政治外交の歴史は 事により未だ不透明な霧に覆われたままであります。 現在、日・中・韓で歴史認識が問題になっていますが それぞれの当時国が真実の歴史は何であるかの認識にたって 真剣に物事を考え、発言しないと言うだけでは問題の解決にはならない。 令和2年4月吉日
2012年10月13日土曜日
東西の文明・文化の流れは、一方通行ではない
『特定非営利活動法人森を守る紙の会: NGO-SFP』事務局長:金原政敏
『Yahoo!天気・災害』
『出典』言語復原史学会・加治木義博:大学院講義録33:29頁
《東西の文明・文化の流れは、一方通行ではない》
「東西の文明・文化の流れは、一方通行ではない」
さらに、この漢字による変化は、
当然、中国など漢字使用圏を通過した間に起こっている。
それがインドヘも逆行して
シンドゥ、ヒンヅゥという宗教名になっていることに注意がいる。
いまシルクロード、何々ロードと呼ぶ学者らが、
文化は、まるで一方通行であるかのように、
解説するのを見かけるが、それは幼稚すぎる。
ラクダの隊商を見ればわかるように、
彼等は、真の文物を西へ、西のものを東へと往復して運ぶ。
日本列島へ来た連中は当然、帰結は日本列島の文物を運んで帰った。
神道も観世音も中国へ東南アジアへインドへ、そして中近東へ運んだ。
だからこそ後世、
アレクサンドロスがインドへ、
ソナカが極東へ、
そして蒙古人が、やすやすと欧州まで行き、
広大な地域を併合統治できたのである。
その蒙古王朝の末裔は、
英国皇室のように血統と遺産を、
共に今なお受け継いで実在しているし、
また東西の共通語が驚くほど広い範囲の、
ユーラシャ全域に分布している。
こうしたことがすべて、
こうした古代東西の文化交流が事実であることの、
何よりも強力な証拠なのである。
しかし、
遺物は古いほど消滅し、
遠いほど稀薄になるのが常識である、
それなのに最古のウバイド文明が、
最も遠い我が国に最も濃厚に文化を伝え、
遺物を残していたのは何故か?、
ことにウバイドを国名とし、
都を巴利国に置いて、
祭政一致を守り続けていたのは何故か?。
《パーリ語辞典》
「パーリ語辞典」
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