ブログのタイトル「大学院講義歴史(創世紀)」は、 日本は平成から西暦2019年に元号が令和に御代代わりしました。 また20世紀も20年前に終わりました。 21世紀は日本にとっても私にとっても「黄金の世紀」です。 「黄金の世紀」に向ってそれぞれが邁進しましょう。 第二次世界大戦(日本にとっては大東亜戦争)が終了して75年目を迎えました。 更に2018年は明治維新からは150年になります。 この間の19世紀20世紀の日本の諸外国との政治外交の歴史は 事により未だ不透明な霧に覆われたままであります。 現在、日・中・韓で歴史認識が問題になっていますが それぞれの当時国が真実の歴史は何であるかの認識にたって 真剣に物事を考え、発言しないと言うだけでは問題の解決にはならない。 令和2年4月吉日
2012年10月20日土曜日
朝日新聞社版『日本書紀』の神名の読み方
『特定非営利活動法人森を守る紙の会: NGO-SFP』事務局長:金原政敏
『Yahoo!天気・災害』
『出典』言語復原史学会・加治木義博:大学院講義録34:13頁
《朝日新聞社版『日本書紀』の神名の読み方》
「朝日新聞社版『日本書紀』の神名の読み方」
『日本書紀』は、この神名を
国常立尊は<クニノトコタチノミコト>。
国狭槌尊は<クニノサツチノミコト>。
豊斟渟尊は<トヨクムヌノミコト>と読んで、
国常立尊とは、「国土の永久の出発を意味するらしい」。
国狭槌尊の解説はなくて、
豊斟渟尊は『古事記』の豊雲野の神に当る。
「名義は不詳であるが、穀物の聖霊らしい」と解説している。
しかし後でお話しするように、
日本語の研究を読けるうちに、
それまで純粋な日本語だと思っていた言葉の中に、
大量のインド語が混じっていることがわかった。
そのうちでも古代インド語で、
今は仏教用語としてしか使われないパーリ語が、
3000語以上もの日本語と共通点をもつことがわかり、
その原因が単なる仏教教育によるものではなく、
大量のパーリ語を話す人々が日本にやってきた結果だと判った。
それは何時のことか?と歴史を検討した結果、
卑弥呼の時代に、仏教を広めるために、
大勢の人がやってきて土着した事実があり、
それを『記・紀』が多数収録していることも突き止めた。
それがこの本で詳しくお話しするソナカ=仲哀天皇の史実なのだが、
そこで天地開闢の神名もパーリ語で書かれたものとして改めて読んでみた。
すると、次のように間違いなく、それはパーリ語の名前であり、
それに漢字を当て字したものだったという事実が確認できたのである。
ご覧いただきたい。
《パーリ語辞典》
「パーリ語辞典」
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『言語復原史学会:画像』
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