2012年10月16日火曜日

極東への超大規模移動の痕跡と、その謎の答



 『特定非営利活動法人森を守る紙の会: NGO-SFP』事務局長:金原政敏
 『Yahoo!天気・災害』 

 『出典』言語復原史学会加治木義博大学院講義録33:32頁

 《極東への超大規模移動の痕跡と、その謎の答
 「極東への超大規模移動の痕跡と、その謎の答

 ウバイド周辺のアラビアに、この女王国が一つしかなく、

 またスメルの国々もウル以外は男王国ばかりになって、

 ウバイドの名を継いだ倭人は遥かに遠い極東に国を作っていた!?。

 このちょっと常識破りに見える事実は、どう考えればいいのであろうか。

 男王国に追われて、逃れ逃れて、辿り着いたのが、

 極東の孤島だったというのが在来式の考え方だが、

 我が国の地名や姓氏をみると、

 次のように、

 ウバイドだけでなく当時の広域の国名が全部やってきていて残っている。

 これはどうみても1地域の脱出者の遺物ではなく遥かに

 大規模なウバイド帝国全体の大移動を示している。

 それはオマーンの他、

 シバ→斯馬・斯波、

 エラム→永良部、

 ウル→漆国(ウルマ)(沖縄)、
 
 スサ→須佐・須崎、

 イシン→石野・伊是名・伊佐、

 ラガシュ=ナガス(朝鮮語)→長洲である。

 これは、広大な地域に分布していたそれらの国々が、

 全部同時に滅ぼされて、1つなって逃亡したという事実がない限り、

 決して起こり得ない現象である。

 しかし、それらの王族または出身者たちが、

 全部、同時に敗れ、

 それが同じコースを選んで、

 全部、我が国までやってきたということは、とうてい考えられない。

 これは平和に帝国規模での大移動が行なわれ、

 各国の人々がいつまでも往来していたと考えるしかない。

 実はこの問題を全て解く唯一の答が見つかった。

 それは『遷都』である。

 次号をお楽しみに……

 《パーリ語辞典
 「パーリ語辞典

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