ブログのタイトル「大学院講義歴史(創世紀)」は、 日本は平成から西暦2019年に元号が令和に御代代わりしました。 また20世紀も20年前に終わりました。 21世紀は日本にとっても私にとっても「黄金の世紀」です。 「黄金の世紀」に向ってそれぞれが邁進しましょう。 第二次世界大戦(日本にとっては大東亜戦争)が終了して75年目を迎えました。 更に2018年は明治維新からは150年になります。 この間の19世紀20世紀の日本の諸外国との政治外交の歴史は 事により未だ不透明な霧に覆われたままであります。 現在、日・中・韓で歴史認識が問題になっていますが それぞれの当時国が真実の歴史は何であるかの認識にたって 真剣に物事を考え、発言しないと言うだけでは問題の解決にはならない。 令和2年4月吉日
2012年10月25日木曜日
卑弥呼=天照大神の父=百襲姫の父の名はパーリ語
『特定非営利活動法人森を守る紙の会: NGO-SFP』事務局長:金原政敏
『Yahoo!天気・災害』
『出典』言語復原史学会・加治木義博:大学院講義録34:18頁
《卑弥呼=天照大神の父=百襲姫の父の名はパーリ語》
「卑弥呼=天照大神の父=百襲姫の父の名はパーリ語」
しかし念のため『古事記』の当て字の方も、よく検討してみよう。
「埿・ウ、土・ヒジ、煮・ニ」になるが埿はどんなにしても「ウ」とは読めない。
しかし私は、埿は漢音デイだから、
大の南九州方言「デイ」とみた沖縄語人が、
大を「ウ」と発音したのだと気づいた。
ところが、埿の字は「堡」の間違いだとして、
ホトニと読む学者が出た。
これは私(加治木義博)と考えは違うが、
別の大きな問題を解いてくれたのである。
沖縄語ではo音はu音になるからホはフになる。
するとこれは「フツニ尊」だから欠史天皇の中の孝霊天皇が
「大日本根子彦 太瓊(フトニ)尊(『日本書紀』)、
大倭根子日子 賦斗邇(フトニ)(『古事記』)」の、
固有名詞の部分「太瓊・賦斗邇 どちらも フトニ」に完全に合っている。
この天皇は系譜だけしかないが、
卑弥呼だと言われる倭迹迹日百襲姫の父だから、
天照大御神の父で、イサナキの尊に当たる。
神の位置に入っていても別に不思議ではない。
古代にも泥の字は「堡」の間違いだとした人がいたのである。
この結論には疑う余地がないから、
つぎは神と人とに分裂した理由を考えよう。
これは、どちらが元の名だったか?わかればいい。
《パーリ語辞典》
「パーリ語辞典」
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『言語復原史学会:画像』
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