2010年1月16日土曜日

記録にないことが証拠」女王国の位置は張政の記録が決定(論文19)

 『出典』言語復原史学会・加治木義博:大学院講義録02:23頁

 「これで、たとえ邪馬臺(ダイ)が正しくて、

  それがヤマトと読めたとしても

  それは奈良県の大和ではなかったことがわかった。

  ではその邪馬臺国は奈良県以外の、銅鐸の多い国だったのだろうか?」

 「大阪や讃岐(さぬき)や阿波(あわ)、出雲(いずも)が多いわね」

 「ここでそれを決定する重要な証拠は、張政が書いたあの報告書なんだ。

  だが、そこにはどこにも、銅鐸のことなんか一字も書いてないんだ」

 「彼は見落としたのかしら?」

 「それはないね…。

  彼は葬式(そうしき)の様子などまで実に詳(くわ)しく描写している。

  銅鐸があったなら、必ず音を聴き、それを見て、

  中国にない珍しい器具として詳しく書くはずだが、全然、書いていない。

  これは彼が観察した倭人たちは銅鐸とは

  無関係な人たちだったことの動かぬ証拠なんだ」

 「卑弥呼の倭国は銅鐸の出土しない地観にあったのね…」

 『参考』

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 小林登志子『シュメル-人類最古の文明』:中公新書"
 『メソポタミア世界』
 シュメル-人類最古の文明

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