2010年1月8日金曜日

旁国15国も不足。なのに国の総数が多過ぎる銅鐸連邦(論文15)

 『出典』言語復原史学会・加治木義博:大学院講義録02:15頁

 「その国名と比べてみると

  4 美濃(ミノ)と弥奴(ミノ)国

 10 志摩(シマ)と斯馬(シマ)国

 11 伊賀(イガ)と為吾(イングァ)国

 15 紀伊(キイ)と鬼奴(クィノ)

 21 播磨(ハリマ)と巴利国(ハリマ)

 32 土佐(ツチサ)と対蘇(ツイソ)国
 
 が合うが、6か国では5分の1しかない。

 またこの倭人の6カ国は皆、『旁国』と呼ばれる国々だが、

 銅鐸国が旁国なら全部で21カ国なければならない。

 銅鐸国は15国も旁国が足りないから、

 とても女王国だとはいえない。

 また倭人30カ国のうちの対馬(つしま)と壱岐(いき)(一大国)は

 朝鮮半島と九州のあいだの海上に

 浮かぶ島国で、続く末盧(マツロ)国も

 九州北岸の松浦地方だとわかっているから、

 そこから500里(約30km)離れているだけの伊都(イト)国も、

 そこから100里(約5.5km)離れた隣国・奴国(ノマ)。

 そのまた隣が100里離れた不弥(プーミ)、

 この3カ国も九州の中にあったことは間違いない。

 とするとこの6カ国を引いた国は24国しかないから、

 32国もある近畿中心の銅鐸の国々とは、また国の数でも合わない」

 『参考』

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 小林登志子『シュメル-人類最古の文明』:中公新書"
 『メソポタミア世界』
 シュメル-人類最古の文明

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