『出典』言語復原史学会・加治木義博:大学院講義録02:15頁
「その国名と比べてみると
4 美濃(ミノ)と弥奴(ミノ)国
10 志摩(シマ)と斯馬(シマ)国
11 伊賀(イガ)と為吾(イングァ)国
15 紀伊(キイ)と鬼奴(クィノ)
21 播磨(ハリマ)と巴利国(ハリマ)
32 土佐(ツチサ)と対蘇(ツイソ)国
が合うが、6か国では5分の1しかない。
またこの倭人の6カ国は皆、『旁国』と呼ばれる国々だが、
銅鐸国が旁国なら全部で21カ国なければならない。
銅鐸国は15国も旁国が足りないから、
とても女王国だとはいえない。
また倭人30カ国のうちの対馬(つしま)と壱岐(いき)(一大国)は
朝鮮半島と九州のあいだの海上に
浮かぶ島国で、続く末盧(マツロ)国も
九州北岸の松浦地方だとわかっているから、
そこから500里(約30km)離れているだけの伊都(イト)国も、
そこから100里(約5.5km)離れた隣国・奴国(ノマ)。
そのまた隣が100里離れた不弥(プーミ)、
この3カ国も九州の中にあったことは間違いない。
とするとこの6カ国を引いた国は24国しかないから、
32国もある近畿中心の銅鐸の国々とは、また国の数でも合わない」
『参考』
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小林登志子『シュメル-人類最古の文明』:中公新書"
『メソポタミア世界』
シュメル-人類最古の文明
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