『出典』言語復原史学会・加治木義博:大学院講義録02:18頁
するとそれで、
『魏書倭人章』解読の最重要点の1つであるコース記事が、
朝鮮半島から真っ直ぐ南の「九州」へ向かっており、
さらに九州上陸後も南下していて、
帯方郡使が半島から伊国まで行く間(かん)に、
一度も半島と九州の東にある近畿へ向かった記事がない事実も、
対馬から不弥国までの6カ国を挙げることによって、
明確に印象づけることができる。
また国数を比較して、その不一致を強く認識してもらうには、
国をいちいち数えていては、
そちらに気をとられてしまうから、
それを防ぐために前もって国名にナンバーをつけておく、
これで読者は一見しただけで全体の国数を知り、
その中から必要な数字を見つけだして比べ、
必要な数を記憶することまで苦労せずに短時間にでき、
その結果、その名の発音が一致する国が余りにも少なく、
反対に銅鐸圏の国数が多過ぎることを知って、
無駄な苦痛を味わうことなく得られた結果の大きさに満足して、
さらに読み進む意欲と興味を掻きたてられる。
そこで次のページで
『魏書倭人章』には銅鐸の記事がないことを話す。
これは地図に書くと全くの白紙状態だということである。
白紙の地図を思い浮かべることは少しも難しくない。
頭のそれと銅鐸圏地図を並べて見れば、
近畿中心の地域が、いわゆる邪馬台国ではなく、
卑弥呼がいた地域ではなかったことが、
疑う余地のないものとして意識されるのである。
『参考』
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小林登志子『シュメル-人類最古の文明』:中公新書"
『メソポタミア世界』
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