2010年1月9日土曜日

明かに銅鐸連邦の都ではなかった奈良県(大和)(論文16)

 『出典』言語復原史学会・加治木義博:大学院講義録02:16頁

 「でも…中央に大和(やまと)があるわ。

  そこが邪馬台国で、まわりむ少なくとも6カ国の旁国があるじゃないの?…
  
  他の国名は後世に変わったのじゃないかしら?」

 「だとすると大和が銅鐸宗教の中心地で銅鐸連邦の都だったことになる。

  それなら銅鐸の遺物も他の国々に比べて、

  飛びぬけて大量に残っていなければならない。

  しかし地図で見るとおり、

  そこには大阪や讃岐(さぬき)などに比べると僅かな銅鐸しか

  みつかっていない。

  他の地域なら調査不十分ということもあるが、

  奈良県には我が国最大の考古学専門機関である奈良国立文化財研究所と、

  奈良県立橿原考古学研究所とがあって、

  世界でも類をみない徹底した調査が長年にわたって続けられてきた。

  調査不足による大量の銅鐸未発見などという可能性は、

  まずないといっていい」

 「なるほど!…大和はどうみても銅鐸連邦の都じゃないわネ……」

  『参考』

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 小林登志子『シュメル-人類最古の文明』:中公新書"
 『メソポタミア世界』
 シュメル-人類最古の文明

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