2010年1月29日金曜日

歴史は本来、小説のように叙述するもの

『出典』言語復原史学会・加治木義博:大学院講義録03:8頁

こうして『オオヒルメ伝承』が史実にもとづいた『記録』であって、

宗教上の説話に過ぎない神話や伝説ではないと、さらに完全な証拠群が揃った。

ここまで進めば、それをもとにした状況描写をすることは、

フィクション小説の仲間入りではない。

その時代に合った風俗・習慣・文化を参考にして、具体的な要素を補えば、

史学に興味のない読者にも興味をもって読んでもらえる優秀論文が書けるのである。

その実例はこれまで、

しばしば取りあげてきた『記・紀』の垂仁天皇をめぐる悲劇

『狭穂(さほ)のはやさめ』である。

『記・紀』自体が史実をノンフィクションとして「作品化」している。

歴史とは本来、しっかりした記録性があれば、

小説のように叙述されて当然のものなのだ。

私たちはその事件が種子島での政権争いであり、

そのとき生まれた皇子が誉津別で、

これは応神天皇の誉田別=八幡のこと、

皇子を連れて隼人へ行ったのが壹與=オオヒルメであり、

卑弥呼が混入した部分を除いた神功皇后でもあることも、

よくご理解戴いていると思う。

だから文体は読者に喜ばれるものがいい。

そこに使われるデータや地名などが正確でウソでなければいい。

だからこそ事前にしっかりした考証が必要なのである。

功を急いで、いい加減なものを使うと、後で取り返しがつかなくなる。

その実例をご覧にいれよう。

『参考』

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小林登志子『シュメル-人類最古の文明』:中公新書"
『メソポタミア世界』
シュメル-人類最古の文明

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