『出典』言語復原史学会・加治木義博:大学院講義録02:19頁
大和がなぜ?
女王国の首都ではなかったか?その理由もわかっている。
地図をよくみてごらん。
銅鐸が出る地域は海岸に沿った地域が主流だ。
これは銅鐸を使う人たちが
海の生活者=漁業や海運に従事する人たちだったことを物語っている。
これまで海人族という名で呼ばれてきた人たちの信仰だったんだ。
そうだとすると、海も湖もない山地の大和がその中心になるわけがない。
大和が倭の女王国の中に入っていたとしても、
女王が都した所だった可能性はぜんぜんない。
奈良は絶対に邪馬臺国でも邪馬壹国でもないと、はっきり立証しているのさ」
「でも銅鐸には米をつく絵や稲の益虫などの絵がかいてあって、
稲作をする農民の器具だといわれてきたのでしょう?」
「そうだが、
それは後期のもので、
初期のものは渦状の模様で
水の神への祈り=安全と富を祈る信仰を表わしている」
『参考』
翻訳と辞書 [無料]
リンクフリー〔UTF-8 対応版〕
小林登志子『シュメル-人類最古の文明』:中公新書"
『メソポタミア世界』
シュメル-人類最古の文明
歴史徒然
歴史回廊
ウワイト
古代史の画像
0 件のコメント:
コメントを投稿