2010年1月12日火曜日

「大和は女王国の首都ではない」と否定する銅鐸(論文17)

 『出典』言語復原史学会・加治木義博:大学院講義録02:19頁


 大和がなぜ?

 女王国の首都ではなかったか?その理由もわかっている。

 地図をよくみてごらん。

 銅鐸が出る地域は海岸に沿った地域が主流だ。

 これは銅鐸を使う人たちが

 海の生活者=漁業や海運に従事する人たちだったことを物語っている。

 これまで海人族という名で呼ばれてきた人たちの信仰だったんだ。

 そうだとすると、海も湖もない山地の大和がその中心になるわけがない。

 大和が倭の女王国の中に入っていたとしても、

 女王が都した所だった可能性はぜんぜんない。

 奈良は絶対に邪馬臺国でも邪馬壹国でもないと、はっきり立証しているのさ」

 「でも銅鐸には米をつく絵や稲の益虫などの絵がかいてあって、

  稲作をする農民の器具だといわれてきたのでしょう?」

 「そうだが、

  それは後期のもので、

  初期のものは渦状の模様で

  水の神への祈り=安全と富を祈る信仰を表わしている」

 『参考』

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 小林登志子『シュメル-人類最古の文明』:中公新書"
 『メソポタミア世界』
 シュメル-人類最古の文明

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