『出典』言語復原史学会・加治木義博:大学院講義録02:25頁
19頁は、その奈良はおろか近畿も銅鐸圏も、
みな邪馬臺国でも邪馬壹国でもないと、
『魏書倭人章』そのものが、はっきり証言していることを話す部分である。
ここでも説得はせずに、
ただ「張政が書いた報告書=『魏書倭人章』に銅鐸のことは一字も書いてない」
ということだけを告げる。
だが続けて、
それがどんなに強力な証拠かを力(ちから)を込めて教える。
張政の記事が、倭人の生活の細部まで詳しく観察して記録している事実を指摘し、
倭国に銅鐸があったのなら、長期間滞在していた張政は、
必ず銅鐸を鳴らす音を聞いたはずだし、
それは彼の鋭い注意力と責任感によって、必ずその正体が突き止められ、
倭人の特徴を示す珍しい習慣または風俗と楽器として
特筆大書したはずだと読者に注意をうながし、
その記事がないのは、彼が記録した倭国は、
銅鐸圏ではなかったことの動かぬ証拠だと、
記事が全く「書いてないこと」が最も強力な証拠だという
『証拠』を提出するるである。
これで読者はしっかりと「倭国は銅鐸圏内にはあり得ない」と認識する。
それを高校生に代弁させることで、
この問題が決着して
『大和説』が完敗したこと印象づける結論の言葉を引き出し、
さらに次の大きな問題である
「臺(ダイ)か壹(イチ)か」の問題を、
過去に論じられたことのない
2つの視点による証拠=魏の官僚制度と木簡・竹簡を提出して
明確な結論をだす。
『参考』
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