『出典』言語復原史学会・加治木義博:大学院講義録02:27頁
「その文字の構造をみても、
壹の字の上部(冠(かん)という)は
[士(さむらい)]だが臺の冠は[吉(きち)]で、
3画もの文字[口]が多い。
下部(脚という)も、[豆]と[至]で全然ちがう。
こんなに違った文字を、
漢字については学者といっていい専門家の役人が、
見間違えたり、写し間違えたりすることはない。
が、それだけではない。
邪馬壹国という名は一度きりしか出てこないが、
この壹の字は、卑弥呼の死後、
女王になった壹與の名として幾度も連続して出てくる。
次々に出てくる壹與の名を、
その役人が全部、写し間違えることなど考えられるだろうか?。
もし仮に、一人の役人がうっかり間違えたとするとどうなるか…?。
魏の制度では帯方郡などの郡の報告書は、
太守が眼を通したものを本国の秘書監に送り、
それが左民尚書(さみんしょうしょ)・尚書僕射(ぼくや)・尚書令・
御史中丞(ぎょしちゅうじょう)・太傅(たいふ)と次々に経由、
記録して皇帝にとどけられる仕組みになっていたんだ」
『参考』
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小林登志子『シュメル-人類最古の文明』:中公新書"
『メソポタミア世界』
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