2010年1月13日水曜日

弥生時代の奈良は単なる稲作開拓地(論文18)

 『出典』言語復原史学会・加治木義博:大学院講義録02:20頁

 「銅鐸人は初めは海で働く人々だったのね!」

 「それが次第に淡水のビワ湖に進出し、

  次には農業を取り入れて水稲を作りはじめたという記録が銅鐸絵画なんだ。

  だから、海から離れている地域にも銅鐸が残っているのさ」

 「それでナゼ、山地の大和にも少しだが銅鐸があるのか、やっと理由がわかったわ!」

 「弥生時代の大和は稲作のための単なる開拓地だったのね」

 「これで、たとえ女王国の首都の名が邪馬臺(ダイ)国だったとしても、

  首都は大和以外のところにあったこと。

  弥生時代の奈良県には邪馬臺国も邪馬壹国もどちらもなかったことが、

  よくわかったはずだ」

 「ではどこが首都だったのかしら?」

 「それは、もっと動かぬ証拠を集めて、整理しないと確定できない」

 『参考』

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 小林登志子『シュメル-人類最古の文明』:中公新書"
 『メソポタミア世界』
 シュメル-人類最古の文明

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