2010年1月30日土曜日

その「時」によって異なる名詞の国籍

『出典』言語復原史学会・加治木義博:大学院講義録03:9頁

「ナーヤ」の実在はパーリ語が使われていたことの動かぬ証拠になったが、

古代日本にはパーリ語だけでなく、ギリシャ語もマレー語も間違いなく入ってきて、

日本語を構成した。

だがそれらは同時に入ってきたわけではない。

地域差もある。

ここではそれを明確に立証し、後で混乱の起こらないものを挙げて、

そうしたものは、どうすれば発見でき、証拠力を発揮できるのか?、

立証の手法を体得して戴こうと思う。

壹與が位宮とともに卑弥呼政権を倒して、

女王に就任したのは魏の正始八年、247年だった。

このとき初めて「邪馬壹国が生まれた。

それ以前には邪馬台国はもちろん邪馬壹国もない。

当時の官名「伊支馬(いちま)」はピッタリ「壹国(いちま)」に合うから、

この国名がイチマと発音されていたことが確認できる。

魏の支配下に入ったため魏語の数詞「イチ」を使ったとみて間違いない。

それ以前は今の十島を「投馬(トウマ)」と書いていることなど、

当時の国々がヒフミヨの日本語数詞で呼はれていたことは、

本講でリストをご覧にいれたように疑いのない事実である。

ところが壹国と、全く同じ「1の国」の意味をもつ国が、

中国語でなくマレー語で呼ばれている。

マレー語で「1」は「サツ」なので、薩摩(さつま)は間違いなく1の国なのだ。

こうなってくると、

あなたはどちらを使って原稿を書けばいいか?とお考えにならずには済まない。

『参考』

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小林登志子『シュメル-人類最古の文明』:中公新書"
『メソポタミア世界』
シュメル-人類最古の文明

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