『出典』言語復原史学会・加治木義博:大学院講義録02:22頁
すると、たとえ女王国の首都名が「邪馬臺国」であったとしても、
弥生時代にはその首都は奈良県以外にあり、
『邪馬臺国はヤマトだから大和で、
卑弥呼のいた場所は奈良県だ』という説が絶対に成立しないことが、
改めて強調する必要もないほどに強く読者に意識され、
『邪馬臺国は奈良県ではない』と、はっきり確信させるのである。
このことは、論文は読者を「説得」するものではないことを教えている。
論文の主目的は「証拠の提出」なのである。
誰もが納得する証拠さえあれば、説得する必要はない。
ところが過去の論文は、説得に力を入れていた。
それも自力でなく、他人の説を紹介して、
「誰々はこう言っている」と、
「権威」に頼ったり、
まるで多数決で決まるというように、
沢山の説を羅列したりしたものが絶対多数を占(し)めている。
正しく動かない証拠なら、
数行で済む立証を、
長々と数十ページも費やしたものが、
良い立派な論文だと錯覚している人物が、
どれくらいの知性の持ち主か簡単に判断できると思う。
そんなものは誰も喜んでは読まないから、
世の中の役にも立たない。
せいぜいが明治型権威主義の大学教授の部屋の装飾品にしかならない。
それさえも私たちには、
その教授の空っぽの正体を証明している
『裸の王様』の衣装と同じものにしか見えないのである。
『参考』
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小林登志子『シュメル-人類最古の文明』:中公新書"
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