ブログのタイトル「大学院講義歴史(創世紀)」は、 日本は平成から西暦2019年に元号が令和に御代代わりしました。 また20世紀も20年前に終わりました。 21世紀は日本にとっても私にとっても「黄金の世紀」です。 「黄金の世紀」に向ってそれぞれが邁進しましょう。 第二次世界大戦(日本にとっては大東亜戦争)が終了して75年目を迎えました。 更に2018年は明治維新からは150年になります。 この間の19世紀20世紀の日本の諸外国との政治外交の歴史は 事により未だ不透明な霧に覆われたままであります。 現在、日・中・韓で歴史認識が問題になっていますが それぞれの当時国が真実の歴史は何であるかの認識にたって 真剣に物事を考え、発言しないと言うだけでは問題の解決にはならない。 令和2年4月吉日
2013年3月8日金曜日
大和説を潰す「郡使の伊都常駐」の記事
『Yahoo!天気・災害』
『出典』言語復原史学会・加治木義博:大学院講義録39:12頁
《大和説を潰す「郡使の伊都常駐」の記事》
「大和説を潰す「郡使の伊都常駐」の記事」
「帯方郡使たちが郡と倭人女王国とを往復する際は、いっもこの伊都に駐在する」
という記事が、
伊都国の説明にわざわざ書き加えられていることも、見過ごしてはならない。
郡使は女王国に用があって来るのであって、
他の国に用はないから、
女王国の所在地が伊都国の彼方、南にあることを示している。
張政は動乱の危険を避けて伊都に居て、
女王国の情勢を聞き状況を見守って指令を出した。
卑弥呼は死に、巨大な墓が築かれ、
政権は壹與に移って邪馬壹国と名が変わった。
だから邪馬壹国は伊都の南、九州本土にあるのであって、
本州のはるか東の山の中にある奈良なんかにあるわけがない。
かりに奈良にあったとすれば、
伊都に常駐する張政のところへ情報が届くのにも、
それに対する張政の指令が届くのにも、
それぞれ数か月もかかり、
塞曹掾史(シヤカ族担当官)としての役目など、
全然果たせないし、
『倭人章』の記事になった報告書は全部ウソだということになる。
しかし実際にはウソどころか、
実に臨機応変の見事な対応ぶりを示しており、
伊都国と女王国の距離が奈良ほど遠くなかったことを明確に記録している。
この張政常駐記事もまた、
はっきりと邪馬壹国が伊都の南、
九州の内にあった事実を重ねて明示しているのだから、
大和説を主張するのなら電話の無かった時代の
この張政の伊都での対応ぶりは何故かまで、
説明する必要があるのである。
《スメル(シュメール)文明》
「スメル(シュメール)文明」
《パーリ語辞典》
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『参考』
『言語復原史学会:Web』
『言語復原史学会:画像』
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