2013年3月7日木曜日

『倭人章』にある証拠と大和説の誤因



 『Yahoo!天気・災害』 

 『出典』言語復原史学会加治木義博大学院講義録39:21頁

 《『倭人章』にある証拠と大和説の誤因
 「『倭人章』にある証拠と大和説の誤因


 これでよくお解りになったと思うが、

 『倭人章』が書く「邪馬壹国」は、

 卑弥呼の死後、

 彼女の死によって壹與新女王が都した新政権の首都名で、

 卑弥呼時代も壹與時代も、

 国名は不変の「倭人=ウワイト」国だったのである。

 その証拠には『倭人章』は壹與時代になっても変化なく、

 「倭大夫」と、やはり倭を元のまま使っている。

 これは言うまでもなく「倭人国」の略である。

 だから仮に「邪馬臺国」が真実だったのなら、

 略称は「邪国大夫」とか「邪馬」大夫とか

 「臺国大夫」と書かれていなければならない。

 ところが大和説者はこのことにさえ気付かずに、

 『卑弥呼は百襲姫なのだから神武天皇の子孫である。

  神武天皇は3世紀より以前に奈良に遠征して、

  大和朝廷を樹立したのだから、

  百襲姫がいた土地は、当然、奈良以外にない。

  当時はそこはヤマトと呼ばれていたと思われるから、

  それを「邪馬壹」と書いている『倭人章』は間違っている。

  それは「壹」の字が、「臺」の字とよく似ているので写し損なったためだ。

  だから「邪馬壹国」は実在しないから。

  「邪馬臺国」が正しいのだ』

 と思い込み、

 それを頑固に主張したのである。

 だが彼等が不動の史実と思い込んだ神武東征は史実ではなく、

 似た史料を混ぜ合わせた偽史に過ぎないことが

 今では完全に確定している。

 大和説はすでに根底から崩壊していて認める余地はない。


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